NHK前田晃伸会長が、昨年大みそかに放送された「第73回NHK紅白歌合戦」について10日の定例会見で総括した言葉です。視聴率はワースト2位の35・3%(第2部、ビデオリサーチ調べ、関東地区)にとどまり、国民的コンテンツとしてかつてのような威光はありません。若者のテレビ離れと多メディア時代が加速する中、身動きできない紅白の苦悩がにじんでいる言葉と感じました。

30%割れの恐怖も決して夢ではない状態とあって、視聴率発表とともに「廃止論」がネット議論されたり、「打ち切り報道」が飛び出したりするのもこの時期の風物詩となっています。そういう報道を淡々と否定するのも歴代会長の仕事のひとつであり、昨年、打ち切り報道が流れた際にも「私が『やめる』とか『打ち切る』と言ったことは1度もございません」と完全否定しています。

多様性の時代に逆行するコンセプトを含め、出場歌手の選抜や演出のあり方など、どこを向いて作っているのか分からない謎紅白には、私自身戸惑いを感じた1人です。紅白の限界を論じる声にも一理あると感じますが、平成初期から”NHKと紅白”を見てきた者としては、紅白打ち切りはいろいろ考えにくいというのが正直なところです。

理由はひとつで、「NHKの1年は、すべて紅白のためにある」ということです。

平成初期のルーキー芸能記者だったころ、最初に先輩からたたき込まれたのがコレでした。決して極端な話ではなく、日々取材していると、大河も朝ドラもあらゆるバラエティー番組も、そのキャスティングや演出のすべては紅白から逆算したトライアルであると分かります。そのカルチャーは今も同じなはずで、紅白だけを切り離して打ち切りを論じられるものではありません。DNAをすべて書き換えるようなもので、それはNHKなのかという話です。

なので、昨年5月の定例会見で打ち切りを全否定した前田会長が「続くかどうかはこれから先の話」と前置きしたのは少し意外でした。先の話も何も、そんなことは1ミリも考えていないのがNHKプロパーの立ち位置でしょうから、ずいぶん踏み込んだという印象でした。

前田会長は銀行グループの元会長。20年の就任以来、生え抜きとは違う視点で紅白に注文を出してきた経緯があり、「ご不満はあると思う」と、局内のハレーションも否定していませんでした。改革の賛否はさておき、紅白は司会者でもっているのではないとか、生でいい歌を届けるのが原点だとか、当たり前のことを言うのも外部から来た人の役目だったように思います。

それにしても、昔のオープンで圧倒的な紅白の取材現場を知る者からすると、出場歌手への取材OKのエリアが何年も前から1カ所だけになったり、リハーサルステージも撮影NGの歌手がどんどん増えていったりという時代の流れはさみしい限り。コロナもあって、感染対策3年目の紅白も取材要項は縮小されたまま。代表撮影を中心とする情報の活気のなさが、そのまま視聴者とNHKの距離のようにも感じます。

初めて紅白を取材したのは平成元年(89年)からですが、当時は楽屋エリアを含むNHKホールのすべてと、放送センター5階の全リハーサル室、その廊下がオール取材OKで、全部員を配置しても足りない大スケール感は紅白だけのものでした。

売れっ子はリハ室でも廊下でも引っ張りだこで、廊下を渡り切るまで30分かかる人も。取材を受けないことをポリシーとする若手ミュージシャンもNHKには通用せず、裏から出ようとしたことに激怒した広報担当者に連れ戻される姿もよくありました。殿様商売の一方で、楽しみにしている視聴者に情報を届けるという「みなさまのNHK」の自意識がまだ強くあったんですよね。

ホールの通路や楽屋口にはさまざまな芸能事務所の幹部、所属歌手、レコード会社関係者、NHK、民放幹部らがひしめいていて、芸能界全体がNHKホールに移転したような迫力。芸能界=音楽業界だった当時、ギョーカイ裏話や謎の商談が飛び交う3日間はまさに異次元空間で、「NHKの1年は紅白のためにある」に妙に納得したことを覚えています。

ちなみに、89年紅白の視聴率を伝える90年1月3日付の本紙を見ると、初の50%割れとなる47・0%を記録し「テレビ離れ」「抜本的な改革が迫られる」とあります。ずーっとあれこれ言われるのが紅白のデフォルトであり求心力ということで、今年も淡々と期待したいと思います。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)