プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月26日付紙面を振り返ります。2006年はソウルの帝王ジェームス・ブラウンさん死去を報じています。

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 ソウルの帝王、米歌手のジェームス・ブラウンさんが25日未明、合併症のため米ジョージア州アトランタ市の病院で亡くなった。73歳だった。正確な死因は不明だが、24日に肺炎のため入院したという。数多くのミュージシャンに影響を与えただけでなく、マーチン・ルーサー・キング牧師の右腕として公民権運動の旗手として活動。魂の叫びをステージにぶつけてきた。

 ブラウンさんの代理人によると、現地時間25日午前1時45分に同市のエモリー・クロフォード・ロング病院で息を引き取ったという。24日に肺炎のため入院したが、正確な死因は不明。週末にニュージャージー州など3都市でコンサートを予定しており、入院時に「週末のライブまでには治してツアーを続けるよ」とコメントしていた。

 CNNの特別番組などに出演の予定もあった。ブラウンさんは04年12月に前立腺がんの手術を受けたが、3週間の休養後に復帰していた。

 60年代からブラックミュージックを代表する存在として活躍し、ファンク・ミュージックの創始者と言われた。「プリーズ プリーズ プリーズ」「セックス・マシーン」などのヒット曲を持ち、約120曲がチャートイン。スーパーボウルのハーフタイムで歌い、映画「ロッキー4」に出演したこともある。70代になっても「Ah~Ha!」とシャウトを繰り返す、エネルギッシュな独特の歌い方と軽やかなステップは健在で、ギラギラの黒スーツ&銀色のマントはおなじみのスタイルだった。

 生年に諸説あり、一般には1933年生まれとされるが、28年との説もある。貧しい家庭で育ち、小さいころから靴磨きなどで働き、15歳の時に窃盗や車上荒らしで逮捕されてからドラッグや暴行など幾度となく警察ざたを引き起こした。28歳の時にニューヨーク・ハーレム劇場でデビュー。ソウル界の人気者となったが、88年に薬物使用と暴行罪で逮捕され、95年に自宅で妻を殴った疑いで逮捕。98年にも大麻所持で有罪判決を受け、2年半服役。03年5月に恩赦を受け、同10月に来日ツアーを成功させたが、翌04年1月に妻を殴って再び逮捕されるなどトラブルが絶えなかった。

 しかし、そんなトラブルメーカーも憎めない人柄から慕う人も多く、70年代には公民権運動の旗手として活動。マイルス・デイビス、マイケル・ジャクソンもブラウンさんの影響を受け、03年には「過去50年で最も有力な音楽家の一人」に選ばれた。抜群の記憶力を持ち、無名時代に知り合った関係者の名前もフルネームで覚えていたという。

 ◆ジェームス・ブラウン 1933年5月3日、米国生まれ。圧倒的な声量のボーカル、軽やかなステップと、天性の素質に恵まれ、ファンク界の帝王とも呼ばれた。ポピュラー、ジャズと多様なジャンルの音楽家に影響を与え、ダンスミュージックのルーツも彼のリズムパターンと言われる。映画「ロッキー」シリーズの「Living In America」は、日本のバラエティー番組「めちゃ×2イケてるッ!」の中でも起用されている。

※記録と表記は当時のもの