漫才コンビで親しまれ、ドラマや舞台で活躍した女優京唄子さんが6日、死去した。89歳。京都市出身。鳳啓助さんとのめおと漫才で人気を得た。鳳さんは94年8月に71歳で死去している。その時の京唄子さんの様子を1994年8月10日付日刊スポーツ紙面で振り返ります。

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 京唄子(67)が号泣した。元の妻であり、1956年(昭31)から漫才コンビを組んで共に上方お笑い界を支えた京。大阪・中座の特別公演「京洛の女」出演中に舞い込んだふ報に、舞台は気丈に務めたが、終了と同時に涙があふれた。その後、とるものもとりあえず、静岡・伊豆長岡に駆け付け、悲しみの対面をした。舞台は、きょう10日以降も続ける。

 午後7時45分、京は、大阪から3時間余りかけて、遺体が安置されている伊豆長岡の本円寺に駆け付けた。色の濃い眼鏡で泣きはらした目を隠していた。家族への弔問を終えた後、時に大泣きしながら、名コンビの死を悲しんだ。「一緒にいたときは食べられないこともあったけど、思い出すのはいいことばかり。元気でいてくれたら良かったのに。やっぱり早かった」。

 大阪・中座での公演はこの日が唯一の1日1回公演日。「だからこうして来られたんです。私に会いたかったんかなあ。今の奥さんには悪いけど」。しかし、こう言いながらも、弔問では、ハマ子夫人や前の夫人の娘さんらに「ほんとうによくやってくれたね」と抱きついて、お礼を言った。これ以上はない名コンビの死に、京は「もう一切、漫才はやりません」と、封印を誓った。

 京は昼間も泣いた。終演間際だった。笑いを交えてファンにあいさつしていた京が、同じ舞台に出演中の鳳さんの実弟志織満助さんを紹介した後、「啓助といえば……」と突然、こらえ切れなくなった。「昨晩10時30分ごろ亡くなりました」。ふ報をまだ知らなかったファンからどよめきが漏れ、平静を装っていた京はこの時初めて舞台で泣いた。

舞台終了後の会見では「がんと聞いたときから覚悟はしていました」と切り出すと涙が止まらなくなった。涙は止めどもなく流れ、言葉を失った。手術を拒否、きれいな顔のままで死んでいった芸人らしい心根にふれ、「えぐり取られた啓助の顔は見たくありません」と声を震わせた。

 7月中旬、鳳さんから病状を心配している京の元へファクスがあった。

-ワシは刻一刻と元気になっている。もう一度、打ち上げ花火を上げたる-。

 「もう恨みごとを言わない啓助になりました」と言うと京は再び言葉につまった。二人は昨年暮れ、テレビ番組で16年ぶりに“唄啓漫才”を復活させた。「毎日やっているみたいや」とブランクを感じさせない息の良さだった。

 結婚、そして離婚。いろいろあった。「でも啓助がいたからこそ、今の私がある。浮気でいろいろ泣かされましたけど、私にとって偉大なるパートナーです。よく頑張ったね。安らかになれて良かったね。私を見守ってね」。それは旅立った鳳さんへの何よりの手向けだった。

年齢など表記は当時のもの