TBS系「クイズダービー」の解答者として人気を集めた学習院大名誉教授の篠沢秀夫(しのざわ・ひでお)さんが26日未明、都内の病院で死去した。84歳だった。09年に筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断され、自宅で闘病生活を送っていた。葬儀・告別式の日程は未定。喪主は妻礼子(れいこ)さん。

 篠沢さんは昨年8月に体調が悪化して入院した。その後、同11月、今年5月と6月にも肺炎などで入院。9月ごろに体調も良くなり退院予定もあったが、今月初めから再び体調が悪化。礼子さん(77)と3人の子供、1人の孫が見守る中、静かに旅立った。

 01年に大腸がんを患い、手術したことを告白した。術後の経過もよく、仕事も続けていた。しかし08年ごろから、ろれつが回らず、09年1月に検査入院後、全身の筋肉が徐々に動かなくなるALSと診断された。礼子さんの献身的な介護に支えられ、自宅で療養を続け、会話が筆談になりながらもパソコンを使って執筆活動は継続。闘病の心境をつづった「命尽くるとも」の出版や講演もこなした。

 この日午後、病院から篠沢さんに付き添って帰宅した礼子さんが取材陣に対応した。若い頃に交通事故に遭っても助かり、椎間板ヘルニアも手術せずに仕事を続けていただけに「奇跡を起こしてくれるはず」と願っていたという。容体が悪化して医師に余命1週間と言われたが「3週間も頑張ってくれました」。最期は「安らかに眠るようでした」。闘病生活を「主人は、うらやむ、うらむ、怒るということをしないで自然のままに病気を恨まずに受け入れて平常心でいつもニコニコしていました。娘や私が呼ぶと目を動かしてくれたんです」と振り返った。

 篠沢さんは学習院大などで教授を務める一方、「クイズダービー」に、漫画家はらたいらさん(享年63)や「三択の女王」と呼ばれた竹下景子(64)らと解答者として約10年間レギュラー出演した。丸顔に黒縁メガネで笑みを絶やさない親しみある姿と教授らしからぬ珍回答の連発で笑いを誘い、お茶の間の人気者になった。番組出場者が最終問題で大逆転を狙い全点を賭ける「篠沢教授に全部!」は流行語にもなった。

 昨年7月に亡くなった司会の大橋巨泉さんからも番組中に「よくそれで大学の先生が務まりますよね」とからかわれ、笑顔で応じる姿も印象的だった。保守派の論客でも知られ、テレビなどで論陣を張った。

 ◆篠沢秀夫(しのざわ・ひでお)1933年(昭8)6月6日、東京都生まれ。現日比谷高卒。学習院大文学部から東大大学院に進学、フランス文学を専攻。パリ大留学後、73年に学習院大教授に就任、04年から名誉教授。77~88年にかけてTBS系「クイズダービー」に出演。1枠のレギュラー解答者を務め、学者らしからぬ珍解答で人気に。13年に瑞宝中綬章受章。趣味は46歳で始めた乗馬。血液型AB。

 ◆クイズダービー 1976年(昭51)1月から1992年(平4)12月までの17年間、TBS系で放送されたクイズ番組。初代司会は大橋巨泉さん、2代目は徳光和夫。出場者が正解すると思う解答者に、持ち点を賭けて増やしていく方式で、解答者によって的中時の倍率が決められた。「せーの、ドン」「さらに倍」などのフレーズが流行。40%を超える視聴率を記録するなど人気を誇った。