歌手北島三郎(81)が7日夜、次男で音楽家の大野誠さんの訃報を受けて、会見を行った。以下、北島一問一答。

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--仕事での思い出は

 北島 彼が作ってくれた歌を私が、親が歌って、「いい乗りだよ」って言ってくれて。「よかったなあ、今日、俺乗ってたかな?」「乗ってたよって。でも俺たちの乗りとは少し違ったかな」なんて言われたりして。息子に先立たれるとは、こんなに…。

--何と言葉をかけた

 北島 あまり唐突なのでね、こういうことしてみたいなって。彼は僕の歌を、オーバーですけど、すごく認めてくれる人でした。オヤジはこういう歌を歌えばいいんだって、私に対しての期待みたいなのをいつも持っていてくれたんですよね。息子でありながら、ある意味ではとてもいい音楽の仲間でした。

--プロデュースもしていた

 北島 彼の作った歌も、「おじゃる丸」の他にも「友情(とも)よ」っていう歌があったり、海をテーマにした歌とか、いっぱい作ってくれて、まだ未発表のものもあるんです。ですから、あいつに今私がしてあげられるのは、せっかく残してくれたものを世に出してあげたいな。

--音楽家としてはどうだった

 北島 わが子でありながら、こんなにセンスのあるやつかなと。私たちにはとてもできないすばらしいものを持っているんですよね。時代の違いかもしれないけれど、やっぱり彼の持っている素晴らしさだと思います。彼は詞を書きます。彼の詞の中にはいつも何か思いがある、励ましてくれるようなすごい詞。あまり出てこないような言葉が出てくるんですよ。もう少し優しい歌つくってくれないか、というくらい。

--デビュー時に「まだまだ俺にはかなわない」と言っていたが

 北島 逆の意味でそれが闘志になって、頑張ってくれたらいいと思って。最初から俺たちには考えられないセンスがあった。よくこんな音ができるなって。本当に、ある意味ではいろんなことで教えてもらうことがありますよ。