小林克也が今日27日、77歳の誕生日を迎えた。これを記念してBS朝日「ベストヒットUSA 小林克也喜寿スペシャル」が明日28日に放送される。休止期間を挟んで同番組司会を37年間務めてきた。番組の誕生秘話や知られざるエピソードを語った。

 喜寿を迎えた小林は「こんなに長く番組をやるとは夢にも思わなかった」と言った。米国の音楽ヒットチャートを紹介する「ベストヒットUSA」は1981年(昭56)に、テレビ朝日で深夜番組として産声を上げた。当時、DJやナレーターとして活躍していた小林は「テレビは待ち時間が長い」という理由などで、出演依頼を断るつもりだった。ところがマネジャーでもあった妻は引き受けていた。「断らなかったんですねえ。結局それが大正解でした」と笑う。

 出演は半年程度のつもりだった。ところが時代に背中を押される形で瞬く間に人気番組となった。「土曜に放送していたんですが、ゲストが出ると次の日にレコードが10倍くらい売れると言われました。レコード会社からは『続けてくれ』ってなった」。80年代は米音楽チャンネル「MTV」が誕生し、マイケル・ジャクソンやマドンナら世界的人気歌手が世に出ると、日本にも洋楽流行の波が押し寄せた。けん引したのは「ベストヒットUSA」だった。ポール・マッカートニーやマドンナ、シンディ・ローパーら大物も数多くゲスト出演した。小林にとって印象深いゲストは、米パンクロック界の大御所、イギー・ポップという。「ろくなことやってない人なんですが、話す時はまるでビジネスマンみたいな話し方で衝撃を受けました。実際に会うと、イメージが壊れることがある。でもパフォーマンスはきっちりとしていました」。

 番組では、小林がまるで教科書のように、各アーティストを流ちょうなしゃべりで紹介していく様子が印象的だ。驚くことにその部分に台本はないという。「そのために音楽の知識をたしなんだり、ゲストに質問するために英語の勉強したり、すごく勉強になった番組です」。

 いつまでも若々しい。最新のラップなども聴く。「好奇心を満たすので別に苦痛じゃない。新しいアーティストが出てきた時、正体が分かるように聴いています」。番組出演を続けている理由がある。「洋楽や文化などを伝える責任感ですかね。若い人に『あの時代はこういう時代だった』『時代はどういう風に受け取ったか』など、当時伝えられなかったものを、今は伝えるようにしています」。

 06年に胃がん、12年に前立腺がんが見つかったが、今は健康そのもので「自然体」が秘訣(ひけつ)という。「この番組は毎回毎回、新しい気分で新しい発見もある。新しさを感じ、もがきながらも、続けていきたいですね」。【上岡豊】

 ◆小林克也(こばやし・かつや)1941年(昭16)3月27日、広島県生まれ。慶大経済学部中退。在学中から通訳やDJの仕事を始める。70年代後半、ラジオ番組「スネークマンショー」で人気者に。ミュージシャンとしても活躍しており、今月21日に25年ぶりのオリジナルアルバム「鯛~最後の晩餐~」を発売。31日にビルボードライブ東京でライブを開催する。

 ◆「ベストヒットUSA」 テレビ朝日系で1981年(昭56)10月にスタート。ミュージックビデオを交えながら米国のヒットチャートを紹介する。初回から小林克也がVJ(ビデオジョッキー)を務めている。89年に終了したが、03年にBS朝日で再開。明日28日の記念放送回では佐野元春(62)鮎川誠(69)が喜寿の祝福に駆けつける。