内田裕也さんは、2011年5月、09年12月から交際していたキャビンアテンダントの女性から別れ話を切り出され、復縁を迫って脅したとして、強要未遂と住居侵入の疑いで逮捕された。5月31日に起訴猶予処分となり、女性と示談が成立したことを受けて警視庁原宿署から釈放された。釈放後、最初に足を運んだのは18年9月に亡くなった妻の樹木希林さん(享年75)の自宅だった。

内田さんは釈放直後、同署の玄関前に列をつくった報道陣の前に歩み寄ると、軽く頭を下げつつも、左手でつえを突き上げて威勢良くシャウトした。

内田さん この国が(東日本大震災などで)こんな時に、プライベートでお騒がせして本当に申し訳ない。数日中に必ず記者会見やるらしいんで、その時にはちゃんと臨みます。ヨロシク、ロックンロール!

報道各社は、署を後にする内田さんの後をすぐに追いかけた。事務所や自宅など幾つか行き先はあったが、記者は樹木さんの自宅だと狙いをつけて先回りした。すると、釈放から約1時間半後の午後1時48分、玄関前に止まった黒塗りのワゴン車から、内田さんが現れた。話を聞こうと迫る記者を軽く右手で制すると、内田さんは玄関前に立ち、まるで仏壇を拝むように静かに両手を合わせて合掌した。唇はわずかにゆがみ、サングラスの奥の目は閉じていた。コンクリートの玄関には、金色の金属で「UCHIDA YUHYA ,KEIKO KIKI KIRIN」と夫婦の名前があった。内田さんは30秒ほど拝んだ後、さらに玄関に一礼して車に乗って立ち去った。

樹木さんはテレビ番組のロケで九州に滞在中で、1人娘の也哉子さんと俳優本木雅弘夫妻も不在だった。関係者の男性が、樹木さんの自宅前に集まった記者に「樹木さんは当分帰ってきませんし、内田さんも絶対に今日は来ません」などと言い、徹底的に人払いをした後の電撃訪問だった。逮捕当日、樹木から「生き方を変えて区切りをつけてほしい。自分も逃げないで引き受ける」と猛省を促され、妻の居ぬ間の「わび入れ」だったとみられる。

内田さんは、釈放から3日後の11年6月3日に、都内の博品館劇場で釈明会見を開いた。樹木さんについては勾留中に1度、面会に来たことを明かした。面会中には1分間の沈黙後、「謝らないんですか」と迫られたといい、「会うと怖い。前の晩も眠れなかった。ただ、来てくれてうれしかった」と語った。離婚の可能性については「結婚は1度きりと固く決めている」と否定し、樹木のことを「大好き」とも言った。

ただ、エルビス・プレスリー往年の名曲「マイ・ウェイ」が流れる中、左膝だけをつく“半土下座”スタイルのまま、独演会のように謝罪の言葉を語る姿に、樹木さんの自宅前で拝んだような殊勝な姿勢は見られなかった。その態度に納得が出来ず、終了後、内田さんの事務所に電話をかけ「内田さんにとって、ロックとは何ですか? 今後、ロックンロールで何をしたい?」と生き方や会見の真意を問いただした。内田さんは釈明会見について「今日は人間として一生懸命頑張った」などと言いつつ、こう答えた。

内田さん ロックンロールは人生。だから「マイ・ウェイ」をかけた。分かる? (今後は、東日本大震災の)被災地に行く。(事件の時)俺は頭がおかしくなった。勘弁してくれ。

こちらの問い掛けへの答えとしては、納得も理解もできなかった。ただ、人生をかけて自らの思いを爆発させているように生きている人だということは分かった。

それから7年4カ月後の18年9月30日、内田さんは都内で営まれた樹木さんの葬儀に参列した。車いすに乗ったまま、微動だにしないその姿に、自宅前で拝んで謝罪した姿が脳裏に浮かんだ。内田さんの合掌した姿は一生、忘れられないだろう。【村上幸将】