肺炎のため、79歳で亡くなった内田裕也さんと同じ兵庫県出身で、10代のころ、裕也さんとロカビリー・バンドを組み、ともにボーカルを務めていた佐川満男(79)が18日、取材に応じ、裕也さんの「強さ」「優しさ」「純粋さ」を語った。

裕也さんとは昨年、妻の樹木希林さんが亡くなった際に電話をしたものの「まったく(裕也さんの)声が出ていなくて、ああ、大変なときに電話したなと思って、ほとんど会話もできずに切った」という。

もう60年以上前、10代の青春をともにした仲間であり、ライバル。バンドは、佐川が東京の事務所に誘われ、上京したことで「2~3カ月か、半年ほどで終わった」そうだが、佐川も裕也さんも「お互いに好きだった」と話した。

佐川によると、ともに兵庫県に生まれ「境遇が似ていた。ボンボンなんですよ、どっちも。タイプは違って、僕はラブソングを歌う、彼は激しい歌を歌う、といったね」と、あうんの呼吸、絆も感じていた。

佐川が東京へ行くと、その後、裕也さんも東京へ。銀座で偶然出会い、「お前も頑張ってるか」と声を掛け合うのが、活動への原動力になった。関西から東京へ出てきた身としては「今以上に敵が多いというか、負けてられないとの気持ちが強かった」と振り返る。

佐川によると、当時、時代は「ロカビリー、ロックから歌謡曲へ動いていた」といい、佐川ら多くのミュージシャンは歌謡曲へ足を踏み入れた。「かまやつひろし、守屋浩、森山加代子とか、みんな…。でも、彼は『歌謡曲は歌えない』って、ロックを貫いた。流れに反抗して、腹立たしい思いに燃えていたんじゃないか」と、裕也さんの当時の思いを代弁した。

そんな裕也さんの「強さ」が、決めゼリフ「ロッケ(ク)ン ロール!」につながったのかもしれない。佐川は「昔はそんなこと言ってなかったけど、いつからだろう?」と言いながらも、裕也さんを「本当に純粋な男」と表現した。

「思い、信念をむき出しのまま、それを一切変えなかった。だからロックを貫けたんだと思う」

一方で、佐川が東京から関西へ戻り、店を経営していたころ、ウエスタン・カーニバルのイベントを企画。裕也さんに取りまとめを頼むと「その企画は実現はしなかったけど、いろいろ動いてくれた」と、人に優しい素顔も思い起こし、しのんでいた。