平成を代表するお笑いコンビといえば爆笑問題だろう。昭和63年に結成し、平成の時代の間に起こった、世の中を騒がせた事象のほとんどをネタにしてきた。“爆笑問題がほぼ平成”という太田光(53)と田中裕二(54)が印象に残った出来事、平成のお笑い、新元号を予想した。
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結成は昭和最後の年、63年だった。それ以来、鋭い視点の時事ネタ漫才で時代を斬り続けている。
田中裕二 平成の歴史はほとんどネタにしてきたね。だから、爆笑問題がほぼ平成。だから、平成は完全に漫才ですね。
太田光 印象的だったのは95年のオウム事件かな。当時は、それ以外、うけなかったからね。「あんなの許せないよ。でも、尊師がさ~」って、「お前、信者か!」みたいな。
田中 そういう感じだったよね。事務所が(オウムの)阿佐ケ谷道場の近くで、我々のテリトリーだったので、怖さもあったね。
太田 当時、うちの社長(太田光代氏)は、いつもジーパンとTシャツ、髪が長くて、怪しく思われて、よく職質を受けてたね。命がけでやってました。
田中 そんなことなくて、うけるからやってたんだけど(苦笑い)。あと、東日本大震災は平成の中で最も大きな出来事なんだけど、直後はバラエティー番組とかも自粛していて。1カ月くらいたった時、ネタ番組をやったんです。それまで時事ネタを散々やってきて、震災という最大のネタをやるかどうかということになって。そしたら、太田がやっぱりやろうと。
太田 「ネタにする宿命を背負っている。行くも地獄、戻るも地獄」だって。結局、何をいじったかというとACジャパンのCMの「ポポポポーン」とかね。
田中 直接的な被害にあった方が傷つくようなことは避けて。今だったら、相当な賛否両論あったかもしれないね。いろんな事件や災害をネタにやってきたけど(見ている人の)リアクション的なものとか、こっちの感覚も30年でずいぶん変わったよね。
太田 明らかに違う。笑いという意味では、ハードルが下がったかもしれないね。例えば、以前は薬物で逮捕された芸能人をネタにする時、ひと展開しないと笑いにつながらなかった。今は「ピエール瀧が」と言うだけで笑いになる。視聴者側の情報量も増えたし、モラルも厳しくなってるんだろうね。
田中 かもしれないね。
太田 あとテレビに倫理を求めるっていうのが高まっている。いつの間にか、テレビは道徳的じゃないといけないみたいな。低俗なものだったはずなのにね。タブーがはっきりしていたのかもしれないな。それと“ブス”って言えなくなってるんだよな。
田中 放送禁止用語に近くなってて。ブスをネタにしている女芸人に言うこともダメだし。そんな時代になるとは思わなかった。
太田 本人が言ってほしいと言ってるのに。
田中 それが許された時代にも実は眉をひそめていた人がいっぱいいたってことなんだろうけど。今は、そういう意見が無視できなくなっている。
太田 おれは言い続けるけどね。ブスって。
田中 それでカットされまくって、俺はテレビに出ていないって言うんだろ。
太田 そういうのも変わっていくんだろうけどね。
田中 テレビの番組も変わったよね。昔みたいなスタジオオンリーで、メインの司会がいて、歌やったりコントとかいろんなことやったりする番組がなくなっちゃったよね。
太田 そこは期待したいね。平成から新元号になってそういう番組ができると良いね。
最後に新元号を予想してもらった。
太田 爆問は絶対にないね。
田中 ないよ。そんなことになったら大変だよ。
太田 でも、光という字は入ってもおかしくない。
田中 裕もあり得る。“光裕”というのはありそう。でも、ないですよ。
太田 幸楽…
田中 ありそうだけどさ。あのドラマがあるから絶対ないよ。【構成・上岡豊】(おわり)
◆爆笑問題 ▼田中裕二(たなか・ゆうじ)1965年(昭40)1月10日、東京都中野区生まれ。▼太田光(おおた・ひかり)1965年5月13日、埼玉県ふじみ野市生まれ。2人とも日大芸術学部中退後、88年にコンビ結成。切れ味鋭い時事ネタの漫才、コントで立川談志らに絶賛される。93年にNHK新人大賞で漫才で初めて大賞受賞。94年「ボキャブラ天国」でブレーク。現在はTBS系「サンデージャポン」、同系「爆報!THEフライデー」ほかレギュラー多数。