歌手で俳優の萩原健一さん(本名・敬三)が26日、都内の病院で、消化管間質腫瘍のため亡くなったことが28日、分かった。68歳。葬儀は家族だけで営まれた。ショーケンの愛称で知られ、グループサウンズ・ブームでは沢田研二(70)と人気を二分。70年代はドラマ「太陽にほえろ!」や「傷だらけの天使」などを皮切りに、個性派俳優として活躍した。故人の遺志に従い、お別れ会やしのぶ会などの予定はない。

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所属事務所によると、萩原さんは11年に消化管間質腫瘍と診断された。だが、本人が強く希望し、病名の公表は控え続けた。関係者によると、萩原さんは今月24日には妻の理加さん(モデルの冨田リカ=57)とともにスポーツジムに通うなど元気だったが、その翌日の25日に自宅で倒れ、都内の病院に救急搬送されたという。翌26日午前10時30分、理加さん看とられ静かに息を引き取った。理加さんは「最期はとても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠るように息を引き取りました」とコメントした。

デビューはグループサウンズ・ブームさなかの67年。17歳でザ・テンプターズのボーカルを務めた。翌年には「エメラルドの伝説」「神様お願い」とヒットを連発し、ザ・タイガースの沢田研二と並び称される存在となった。

ブームが去り、70年にテンプターズが解散すると、沢田らとバンドPYGを結成し、ロックフェスティバルなどに出演する一方で、かねてから興味のあった映画監督を志す。

念願がかない、72年に製作された映画「約束」の現場に助監督として参加するが、主演俳優の降板で急きょ、岸恵子(86)の相手役を務める。この作品で高い評価を得て、ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)の初代新人刑事マカロニ役に抜てき。俳優としての人気を決定付けた。

74年には神代辰巳監督とのコンビで映画「青春の蹉跌」に主演。ドラマでも「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」と話題作が続いた。巨匠からの指名も多く、橋本忍脚本「八つ墓村」(77年)黒沢明監督「影武者」(80年)と映画史に残る作品にも出演した。

私生活は3度の結婚、4度の逮捕で常に騒がしかった。75年にモデル小泉一十三と結婚したが、3年後に離婚。80年には女優いしだあゆみと結婚し、4年後に離婚している。現夫人のモデルの冨田リカ(57)とは11年に結婚した。

83年にはインド・コルカタでチャリティー・コンサートを行った3カ月後に大麻不法所持で逮捕。翌年には飲酒運転で人身事故を起こして逮捕された。その翌年には女優倍賞美津子とのツーショット写真を週刊誌に撮られて激高。カメラマンと編集者に暴行して書類送検されている。

04年には再び交通事故を起こし現行犯逮捕。同年途中降板となった映画のプロデューサーに脅迫電話をかけて恐喝未遂で逮捕された。

歌手、俳優としてそれぞれ1度は頂点を極める一方で、度重なるゴシップで私生活にもスポットが当たり続けた文字通りの「個性派スター」だった。