先月17日に肺炎で死去した内田裕也さん(享年79)のお別れ会「内田裕也 Rock’n Roll葬」が3日、東京・青山葬儀所で営まれた。

内田さんがプロデュースする「ニューイヤーズワールドロックフェスティバル」の、73年第1回のポスターを手掛けた美術家の横尾忠則氏(82)が弔辞を寄せ、義理の息子の本木雅弘(53)が代読した。文章はポスターの裏にしたためられた。

全文は次の通り。

裕也さん、ごぶさたしています。と言ってもあなたを知ってゆうに50年以上がたち、その間に会った回数は5回くらいですよ。もっと会っているようにお互い思っているけど、たった5回なのよね。

裕也さんとの最初の仕事は一柳慧作曲「オペラ 横尾忠則を歌う」の3枚組LPで、内田裕也とフラワーズのバンドでサイケデリックな長い曲を演奏録音してくれたんだけど、この時も会ってないのよね。この大みそかのフラッシュコンサートの時もお互いの担当者の間で進行し、ここでも2人は会ってないのよね。ある時裕也さんが興奮してニューヨークから旅先の四国に電話をくれたことがあったけど、何事かと思ったら「今日ニューヨーク近代美術館で横尾さんの作品を見て、あんまりうれしくて電話しました」と言った時は、心から友情を感じました。携帯電話のない時代だから、ホテルから掛けてくれたんでしょうね。

それから1度、初めて2人でバーベキュー屋に行った時、たまたま2人が同じメーカーの赤い靴を履いていたら、裕也さんは「横尾さんのと取りかえっこしてくれませんか」と言って、取りかえっこしたら、裕也さんの靴下がガーゼみたいに薄くなって、ちびていたんだよね。あの頃2人とも赤い靴下ばかり履いていたんだけど、この間見たテレビでは相変わらず赤い靴下を履いているのを見て、この人のこだわりはコンセプチュアルだなと感心しましたよ。

こんなこともあったな。ファッション誌で裕也さんが出演することになった時、「横尾さんが出るなら出るよ」と言ったために僕も出なきゃいけなくなっちゃった。子どもみたいな人だよね。靴下のことや、このこと。

この前テレビのお宝鑑定団で、このポスターをロックンロールの66万円の値をつけて出して、鑑定士から汚れているとかなんとかケチをつけられて、もう少し安く見積もられてぶぜんとしていたのも、子どもみたいでよかったね。

また何かで裕也さんがステージで謝っていたのをテレビで見て、格好良かったよとメールしたら、そのメールを別の場所で「横尾さんがメールをくれたんだよ」とみんなの前で読んだって。その場にいた人から聞いたけれど、何でもすぐ喜んだり怒ったりする、そんな裕也さんは芸術の重要な核であるインファンテリズム、幼児性の人で、こういうところが格好良くて、人から嫌われ、愛されるところなんですよね。

裕也さんは元々この世というより、最初からあの世から来たような人だから、しばらくこの世で遊んで、「もう面白くなくなったので、田舎に帰るわ」みたいな気分で向こうに帰ったんだと思っているよ。僕はもう生まれ変わりたくないので、向こうの永久国籍を取るつもり。向こうではもっと頻繁に会おうよね。

See you soon.横尾忠則