7月に亡くなったジャニーズ事務所社長、ジャニー喜多川さんのお別れの会が4日、東京ドームで開かれた。多くのアイドル、アイドルグループを手がけ、世界記録となる数の音楽、舞台をプロデュースしたジャニーさん。「ジャニーズと日本」の著書がある批評家の矢野利裕さんは、戦後の日本社会という大きな文脈で、その死を語るべきだと言う。矢野さんに聞いた。

 

■米国を肌で知るジャニーさん■

 

-日本の芸能界に大きな功績を残した方でした

それは間違いないと思います。あらためて思うのは、ジャニーさんは、戦後日本の民主化とも関わりが深いのではないか、ということです。

-日本の民主化?

ジャニーさんは、米国で生まれ育ち、戦中は日本で過ごしますが、1950年代に再び来日します。当時の日本は、敗戦から連合国による占領、民主化、独立と戦後民主主義の揺籃(ようらん)期でした。60年代、ジャニーさんが芸能界に本格的に参入するきっかけとなったのが、少年野球チームと米国のミュージカル映画だったことは知られています。米国は占領政策で、エンターテインメントやスポーツ、特に野球で日本の民主化を促したこともまた、知られています。朝鮮戦争に従軍し、米軍の関係者として再来日したジャニーさんが、その視点を持っていたとしても不思議ではない。ジャニーさんが、日本の民主化を進めたダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官と入れ替わるように来日したことは示唆的です。

-米国人としてのジャニーさん

そういうことです。当時のジャズやロカビリーの担い手たちが、その後の日本の音楽界、芸能界をリードしていきます。彼らの芸は、米国文化の「模倣」から始まったものです。それに対し、ショービジネスの本場、米国を肌で知るジャニーさんは、米国文化で日本を「教育」するという発想ではないか。日系米国人のジャニーさんは、日本人のエンターテイナーとは違う視点、つまり音楽、芸能を通じて日本を民主化するという発想を、ある程度、自覚的に持っていたことと思われます。

-例えば、どんな点ですか

ジャニーさんの発言などをみると、発想が戦後民主主義的なところがあります。日本の音楽界、映画界には、専属制度などもあり、師匠について学ぶ徒弟的な側面が強くありました。それに対し、ジャニーさんは、少年たちを学校のような形で迎え入れ、個性の輝きを見いだし、機会を与えようとします。「合宿所」なんて、いかにも学校っぽいですし、必ずしも歌が上手でなくても、イケメンでなくてもいい。機会の平等や個性の尊重といった、米国流の民主的価値観を反映しています。自由で個性を重んじる「教育」によって少年たちは、自身の可能性を花開かせていきます。

 

■ジャニーさん伝えた平和の精神■

 

-ジャニーさんが生み出した、エンターテインメントにも、その思想は見えますか

少年たちが歌って踊り、多くの人に日常を忘れさせる華やかなステージづくりを心がけていました。メッセージ性を直接的に打ち出すというのではなく、ジャニーさんの芸能活動に平和の精神が込められている、という印象があります。「個性」や「自由」といった理想を、日本のショービジネスで体現したい、という思想を生涯、持ち続けた人だと思います。

-さて、ジャニーさん亡き後、どうなりますか

理想を説く側が、実は暴力的、抑圧的だったということは、しばしばあります。ジャニーズもそういう面がないとも言えない。米国と沖縄の関係もそうです。芸能界でも今、さまざまな問題が噴き出していますよね。ジャニーさん亡き後、ジャニーさんが描いた理想を、誰がどのように受け継いでいくのか。単に芸能事務所の社長の死という現実を超えて、大きな文脈で考えるべきだと思います。(聞き手=秋山惣一郎)

 

◆矢野利裕(やの・としひろ) 1983年(昭58)、東京都生まれ。音楽や文学に関する批評を手がける。14年、「自分ならざる者を精一杯に生きる-町田康論」で群像新人文学賞評論部門優秀作を受賞。著書に「ジャニーズと日本」など。