今年の「M-1グランプリ」は22日に開催される。決勝進出9組が発表され、うち7組が初進出というフレッシュな争い。その中で、漫才の本場・大阪を拠点にする吉本興業所属コンビは「ミルクボーイ」「見取り図」「からし蓮根」の3組。彼らの素顔、意気込みを紹介します。第1回は「ミルクボーイ」です。

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「成長して戻ってきた姿を見せること」が目標で、狙うはもちろん優勝だ。M-1は10、16~18年に準々決勝に進出。内海崇(33)は、空白期間を「10年から16年くらいまで、お笑いをサボっていた。何もやってなかった」と振り返った。

10年は準々決勝への追加進出組に選ばれた。その中には、昨年まで3年連続準優勝で、今年の優勝の最有力候補であった和牛もいた。駒場孝(33)は「和牛さんはそこから頑張っていきはったけど、僕らはくすぶっていた。勝手に一段落した」。その後の約6年間、内海はギャンブル、駒場は先輩と淡路島で遊びに明け暮れ、淡路島から大阪に通っていたという。

そうなった理由を聞けば、内海は「記憶にない。調子に乗ったわけでもないし、ケンカしてどつき合ったわけでもなく、お互いが干渉しない時期だった」と振り返る。

駒場が前を向いたきっかけは、番組で共演していた海原やすよ・ともこの言葉だった。「ミルクボーイは昔はおもしろかった」という後輩芸人の発言を聞き、姉妹が「他の先輩は言わんけど、私らは言うよ。昔はおもしろかったって聞いてる」と駒場に伝えた。

女流漫才師の先駆、海原小浜(お浜・小浜)さんを祖母に、吉本新喜劇・池乃めだかの相方だった海原かける(かける・めぐる)を父に持つ漫才界のサラブレッド姉妹。3世代漫才師にとって、漫才へ情熱を失いかけていた後輩は見ていられなかったようだ。

駒場は「昔は…みたいな感じで。それを言われるのがイヤだった。だからその言葉は大きかった」と感謝している。

内海は14年の「THE MANZAI」をきっかけにお笑いと向き合うことを決めた。「1回戦敗退。賞レースでは初めてだった。あかんと思ってその日に『坊主』にした」と明かす。

その時期を内海は「いらんかった」。駒場は「踏み台でもなかった」と、とらえてもいる。

それでも今、現実に、M-1の決勝という夢の舞台に到達した。内海は「やっぱり優勝したい。ようやくミルクボーイが完成に近づいてきた」。駒場は「やっぱりこの人たちはおもろいんやっていうのを見せたい」と意気込んだ。  

◆ミルクボーイ 07年7月結成。ボケ担当の駒場孝とツッコミ担当は内海崇。吉本興業所属。ともに大阪芸大の落語研究会出身。31日には大阪・堂島リバーフォーラムで行われる「もっともっとも~っとマンゲキカウントダウン」に出演する。