阪神・淡路大震災は17日、発生25年を迎える。震災で母を亡くし、神戸市兵庫区の実家が全壊した落語家、桂あやめ(55)は震災から25年の年月を振り返った。02年には、あやめ自身も母となり、あらためて思う「母親」についても語った。17日当日は、神戸新開地の喜楽館で、あやめが主催する「KOBE117(いいな)! 落語会」が開催される。

  ◇    ◇    ◇

阪神大震災から25年。あやめは「私にしたら、母親の命日である日」と、とらえる。兵庫区にあった実家は全壊し、1階で寝ていた母玲子さん(享年63)が亡くなった。

震災の翌日、姉と2人で西宮市から実家まで歩き、公民館に避難していた父に「お母ちゃんは?」と尋ねた。そこには毛布で包まれた母の遺体があった。

あやめは母と前日の夜に「来月、カニ食べに行く? 安いバスツアーあんねんて」と電話をしていたという。「そんな会話で終わってるから、何時間後にこんなんになってるって考えられへんかった」と思い起こして言った。

「普通に生きてきて、25年もたってるって、あらためて思い出す感じ。震災以降に子どもができて、その子がもう17歳」

あやめは02年9月、38歳のとき、長女なごみさんを出産した。「母親と娘はすごい気が合いそうやったから、会えなかったのはすごい残念」と言いつつ、絆も感じる。「母親はこの子の中にいる」と感じる瞬間があるそうだ。

「母親が言っていた言葉とかあやし方をして、私が子どもを育てている。子どもにも、その言葉が自分の中にあって、また子どもができたらそういう言葉を使うんやろうなって思う」

現在17歳の長女がいつか母になったとき、あやめから受け継がれたものを、また子に伝えていく。あやめは「きっと覚えていて(同じことを)言うんだろうな。こうやって親から受け継がれて伝わっていく。娘の中には母親がいる」。

あやめ自身が母になろうと思ったきっかけが、震災だった。

「それまでは特に子どもが欲しいって思ったことはなかったけど、震災で身内が死んだり、いっぱい人が死んで…。自然に子どもが欲しい、産みたいって思った。そんな気持ちになったのは初めてやった」

出産したとき、自分の分身ができた気持ちになり、うれしくも不思議に感じていた。「女の体に生まれてよかった。自分の体から1人の人が生まれてくる。こんな経験できるなんて」と感動も覚えた。

長女とは、亡くなった母の写真を見せて「これがおばあちゃん?」「せやで」と会話したり、毎年、震災特番を見て「おばあちゃんはこの震災で亡くなったんやで」といった話をしているという。

「娘にとっても、阪神・淡路大震災っていうのは、おばあちゃんが死んだものだと思っているから、ちょっと人ごとじゃないというか…。会ったことはないけど、親しみを持って家族って思ってるような感じ」

あやめの父、保さんは震災からおよそ10年後にがんで亡くなった。父の存命中は、あやめは母に「パパも元気やで」と声をかけていた。今は母の誕生日などにお供えをして、長女が健康で元気でいることに「大きくなったよ」「今年、いくつになるよ」との報告を続けている。

震災から四半世紀。節目25年の17日には、自らも開館に奔走した地元の神戸新開地にある喜楽館で落語会を開く。「主催でこの日に震災関連のイベントをするのは初めて。そういうのをしたくないって気持ちが強かった。でもあらためて感じる数字なんで」。母を亡くしたあやめが、25年の年月を出演者や観客と共有する落語会になる。【星名希実】

◆「KOBE117(いいな)!落語会」 17日に神戸新開地の喜楽館で開催。神戸大在学中に被災した桂吉弥や、震災が起きた95年生まれの桂九ノ一、「桂雀三郎withまんぷくブラザーズ」のリピート山中が出演する。トークゲストは耕笑園てつや。「熊本地震で神戸の人にお世話になったお礼」として、くまモンが落語を披露する。