俳優平野宏周(21)が、テレビ東京系で20日にスタートした「ウルトラマン」シリーズ24作目の新作「ウルトラマンZ」(土曜午前9時)の主人公ナツカワ ハルキ役に抜てきされた。スポーツで鍛えた恵まれた体と甘いマスクから、周囲に導かれるように芸能の世界に飛び込んだ。このほど日刊スポーツのインタビューに応じ、幼少期に見ていたウルトラマンを演じる中で芽生えた思いを語った。

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光り輝く瞳に、鍛え抜かれた肉体…平野のたたずまいは、ウルトラマンゼットに変身するハルキそのものだ。「監督に『役作りで迷ったら、自分に近づけて良いよ』と言われたのが大きかった」と笑みを浮かべるが、第1話の撮影から大ハプニングに見舞われた。古代怪獣ゴメス襲来で街を逃げ惑う犬を助ける場面で、ズボンの尻の部分が破れた。「現場が冷めた。スタッフの方が同じ色の布を貼ってくれましたが、走っていると破れてパンツが見えてしまった。人生で初めて冷や汗をかきました」。

幼少期に4歳上の兄が大好きな「ウルトラマンティガ」(96年)を見たのが、ウルトラマンとの出会いだ。兄と一緒に見たショーで怪獣に驚き、泣いたことは今も忘れない。「ヒーローになりたい」と憧れたが将来、ウルトラマンになるとは思ってもみなかった。

幼稚園で始めた野球は、背が伸びずに中学卒業後に引退したが、高校進学後に体が一気に大きくなり、アメリカンフットボール部に勧誘されて入部。QBとして活躍し、神奈川県大会で4強に進出した。その中、父の行きつけのセレクトショップ社長で芸人の経験もある鳥居孝行氏に紹介されてサンミュージック入り。「縁をいただいた。やらない理由はないと思いましたが、芸能界は考えたこともなかった」。幾つかのオーディションを受けて俳優の面白さを感じた一方、大学にも進学し「俳優は4年間で大きな仕事が決まるまで頑張ろう」と思っていた。

その中、めぐってきたのが「ウルトラマンZ」のオーディションだった。結果が出るまでは、人生で最も長く感じたほど結果を待ち望んだ。いざ撮影に臨むと「主演だから持ち上げてもらっている。このままではダメだ。今後、俳優として生きていくには壁を破らなければいけない時が来る」と感じた。職業としての俳優を実感した瞬間だった。

新型コロナウイルスの影響で撮影が2カ月、止まったことも大きかった。自粛期間中は台本を読み込んだ。撮影が再開し、他の俳優と演技して「誰かと一緒だと全然違う。当たり前だったことにありがたみを感じます」と幸せを覚えた。

ゼットの師匠ウルトラマンゼロの父はウルトラセブン、ゼロの師匠はウルトラマンレオと原点回帰の色が濃い作品だ。平野は「コロナで落ち込む子どもたちに元気と希望…僕が幼少期に描いた諦めないというヒーロー像を感じて欲しい。まだ街中で『ゼットのお兄さん』と声をかけられていない…待っています」と期待した。【村上幸将】

◆平野宏周(ひらの・こうしゅう)1999年(平11)4月1日、神奈川県生まれ。15年に静岡学園中・高校(静岡市)の広告でデビュー。サンミュージック所属の若手男性俳優ユニット「SUNPLUS(サンプラス)」のメンバー。16年10月からNHK Eテレ「Rの法則」に8期生として出演。19年にはスペイン映画「Los Jap〓(アキュートアクセント付きO小文字)n」にヒサオ役で出演。同年末の「J-Coin Pay」のCMで人気。183センチ、70キロ。血液型O。

◆ウルトラマンシリーズ 円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマ。1966年(昭41)7月からTBS系で放送された「ウルトラマン」を皮切りに、翌67年「ウルトラセブン」、74年「ウルトラマンレオ」を経て「ウルトラマンZ」まで連続ドラマは24作放送(5分以内の短編は除く)。「ウルトラマンZ」は、ウルトラマンゼットが地球へ追いかけた怪獣ゲネガーグとの戦いで命を落とした、対怪獣ロボット部隊ストレイジ隊員のハルキがウルトラマンゼットと一体化して一命をとりとめ、正義のヒーローとして戦う物語。