歌手美空ひばりさん(享年52)の最後の10年間を支えたプロデューサー境弘邦さん(83)が、当時の秘話をつづった「昼行灯の恥っ書き」を発売した。

生のひばりさんを取材したのは88年4月の東京ドーム公演がただ1度の機会だった。慢性肝炎が悪化し、突発性大腿(だいたい)骨骨頭壊死(えし)症で歩行も困難だったひばりさんが奇跡のように成し遂げた「最後のパフォーマンス」である。

5万人の聴衆を前にひばりさんは体調の悪化をみじんも感じさせなかった。圧倒的なステージだった。張りのある声、満面の笑み…今でも鮮明に覚えている。公演タイトルには「不死鳥-」とあり、記事にも「完全復活」と書いた記憶がある。

境さんは、取材が許されなかった舞台裏の様子を書いている。

公演直前については「ステージ裏の楽屋にはベッドが運び込まれ、点滴の器具や酸素吸入器が準備される-直前まで楽屋に横たわり、点滴処置を受けていた」

そして終演。「エンディング曲の『人生一路』。ひばりさんは持てる力を振り絞って熱唱し、歌い終わると、客席に大きく手を振りながら歩き出した-笑顔のまま歩き終えると、ひばりさんはスモークの中に消えた」とここまでは覚えている。が、その直後「自分との壮絶な戦いを終え、燃え尽きた体は、待ち受けていた愛息・和也さんの胸の中に倒れ込んだ」という。

昭和の歌姫のステージへの執念がズシリと伝わってくる。ひばりさんはこの1年2カ月後に亡くなった。

「ひばり御殿」と呼ばれた東京・青葉台の自宅についても境さんは、詳しく書いている。記念館となってから、和也さんへの取材で何度か訪ねたことがあったので、その独特の造りを懐かしく思いだした。

玄関には等身大の像が置かれていた。身長147センチ。舞台上ではあれだけ大きく見えたひばりさんは少女のように小さい。

ステージの表と裏のそれといい、ギャップの大きさこそがそのままひばりさんの偉大さを象徴しているのだとあらためて思う。【相原斎】