バラエティー番組で目にする「親子共演」の影響だろうか、「2世俳優」にはおおむねおっとりとしたイメージがある。

50、60年代の映画全盛期に有馬稲子とともに松竹の「2枚看板」として活躍し、近年のドラマでも凜(りん)としたたたずまいの岡田茉莉子(87)はこの対極にあるような気がするが、実はれっきとした「2世」である。

「松竹100周年」の取材で、先日、この往年の大女優に話を聞く機会があった。「聞く」とはいってもコロナ禍のため、メールのやりとりとなった。つたない質問にていねいに答えていただき、恐縮するばかりだったのだが、その中に「父の映画を初めて見た時」のエピソードがあった。

父は岡田時彦。溝口健二、小津安二郎ら巨匠の作品に多数出演し、当時の映画誌の人気投票では阪妻こと阪東妻三郎をもしのいだサイレント時代の大スターである。結核のため30歳で亡くなり、当時1歳だった茉莉子は父が誰かを知らずに育った。戦時中、疎開先の新潟で女学校に通っていた彼女が演劇部の友人と映画館を訪れたことがあった。

「新潟市の映画館で偶然見たのがサイレント映画の『滝の白糸』(溝口健二監督)でした。その夜、母に映画に出ていた俳優さんの話をすると『それはあなたのお父さんよ』と知らされたのです。翌日、もう1度『滝の白糸』を見に行きました」

偶然の「再会」を聞き、母はその夜泣いたという。「父」の顔をもう1度見よう。「父」としてその演技をもう1度確認しようと、茉莉子は翌日ひとり映画館を再訪したのだ。

叔父のプロデューサー山本紫朗の勧めで18歳で東宝ニューフェースとなった茉莉子は、24歳の時に松竹に移籍した。そこには時彦の出演作を5本撮った小津安二郎監督がいた。

「小津監督は父のことを『あんな名優は2度と出ない』とまで言ってくださいました。それ以来、岡田時彦は私の目標であり、ライバルとなったのです」

スクリーンの中に見た、そこでしか見られなかった「父の背中」。その偉大な背中を追い続ける女優人生だったのだ。

いつも背筋をピンと張った女優・岡田茉莉子の背景が少しだけ見えた気がした。【相原斎】