作曲家・中村泰士さんとコンビを組み、ちあきなおみ(73)の不朽の名作「喝采」を作詞した吉田旺さん(79)は「本当にみんな先に行ってしまう。つらいです」と悲しんだ。

吉田さんは、72年5月発売のちあきの「禁じられた恋の島」で、初めて中村さんと仕事をした。そして、同年9月に「喝采」が発売された。吉田さんは「中村さんは曲づくりに対して、いい意味でとても貪欲な方だった。ちあきの作品をとても書きたがっていました」と振り返った。

吉田さんは「歌い手をテーマにしよう」と当初、「幕が開く」というタイトルで「喝采」を作詞した。歌詞の「届いた報らせは 黒いふちどりがありました」に、中村さんがかみついた。「死を歌詞に持ち込むことはない」「いくら別れても殺す必要はない」と、歌詞の変更を迫った。吉田さんは「私はこの部分が核だと思っていましたので、『ドラマチックにならない』と頑として拒否しました。中村さんと険悪とまでは行かなかったですが、かなり言い合いました」。

中村さんの曲はすでに完成していたが、吉田さんの意向を尊重した中村さんは、曲を書き直した。演歌の曲調である日本固有のヨナ抜き音階で作曲した。ポップスでは珍しい音階で、後に中村さん自身が「会心の作」という独特のメロディーを作り上げた。吉田さんは「僕の書いた詞をイメージして、曲を手直ししてくれました」と話した。

その年の第14回日本レコード大賞は「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)が最有力候補だった。それが9月発売の「喝采」が発売3カ月という史上最短で大賞を獲得した。吉田さんは「中村さんと一緒に喜びました。本当にうれしかった」と懐かしんだ。その後もコンビで「劇場」「夜間飛行」など、ちあきの代表曲を作り上げた。ちあきは「喝采」の前まで、「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」などアイドル路線だったが、「喝采」以降、日本歌謡史に残る歌姫に上り詰めて行った。

吉田さんは「体調が悪いということは耳にしていましたが、最近はお会いする機会はありませんでした。本当につらいです」と、突然届いた“黒いふちどりの報らせ”に絶句した。【笹森文彦】