亜星さんは83歳だった16年、日刊スポーツのインタビューに応じ、当時の歌謡界へ辛口のゲキを飛ばして意気軒高なところを見せていた。

「流行歌の世界が全くダメ。紅白歌合戦もみんな昔の歌を歌っている。おじいちゃんから孫まで知っている曲がない。似たような詞ばかり。流行歌は滅びたね。ポップスはいい曲はあるが、世の中、同じ曲ばかり街で流れているのはない」

ポップスには理解も示す一方、演歌に苦言を呈した。「作曲家、作詞家がいけない。現代を直視して現代を表現していない。演歌はひどい。何とか船とか、何とか道中とか、まだ作っている。みんなが愛する曲を作るには、いろんな経験と音楽的成熟が必要で、そういう人がいなくなった。昔は『演歌』という言葉じゃなかった。『流行歌』と言ったもの」。キャッチーなメロディーを世に送り出したヒットメーカーらしく「流行歌」にこだわった。

98年には自身のCMソング「どこまでも行こう」と「そっくりな曲」を作ったとして、作曲家の服部克久さんに損害賠償を求め法廷闘争。02年の2審判決で勝訴(03年確定)した際は、「仲間の音楽家を訴えることは非常に抵抗感があった。先輩たちに『盗作で訴えるなんてバカだ』なんて言われた」と明かしつつ、「知的財産権が重要視される時代に、曲を自由にまねできるという状態を放置することはできなかった。著作権の根拠になる判例ができたことが何よりうれしい」と、作曲家の権利についても先見の明を持っていた。