元フジテレビでアイドル女子アナの元祖、フリーアナウンサーの寺田理恵子(59)が、15日に60歳の誕生日を迎える。2代目ひょうきんアナとして芸人たちのセクハラに耐えた日々から、52歳での仕事復帰、そしてこれからを聞いてみた。

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15日に還暦、満60歳を迎える。

「楽しみでしょうがない。嫌じゃないですよ。40歳からの20年間は、人生でいろいろなことを経験してしまいましたので、もう60歳になって生まれ変わる。第2の人生、リスタート。グレートリセットです。リボーン、生まれ変わります。還暦記念に真っ赤なドレスを着て楽しみたいですね(笑い)」

1984年(昭59)にフジテレビにアナウンサーとして入社。86年の「男女雇用機会均等法」施行の前、契約社員としての採用だった。

「元々、ミーハーなんです。芸能人になりたいと思ったことはなかったけど、司会者やインタビューする人はうらやましいなと思っていました。私も有名な人にインタビューしたいなと思いました」

バブル景気の真っ最中。フジテレビは「楽しくなければテレビじゃない」を合言葉にテレビ界で天下を取っていた。

「フジテレビの入社試験で、好きなアナウンサーを聞かれて、楠田枝里子さんと答えました。元日テレですね(笑い)。次が頼近美津子さん。NHKから来た人ですね(笑い)。その次に見城美枝子さんを挙げたら、元TBSの方で(笑い)。さすがにフジテレビの方たちに『なかなフジテレビが出てこない』って言われちゃって。最後に田丸美寿々さんの名前を出したんですけど、その時にはお辞めになっていた(笑い)」

当時は会社訪問が許される就職解禁日が10月1日。だが、各企業とも優秀な人材を確保するために、それ以前に“青田買い”をしていた。

「一応、アナウンスアカデミーにちょこっと行きましたけど。大学4年の時に夏休みにマスコミセミナーがあって、みんな参加していたんですけど、私はアルバイトにいそしんでいたので参加できませんでした。それで10月1日の就職解禁日に近くなってから、学生課に行って就職の所を見たら、フジテレビのアナウンサー募集があった。今からでも間に合うんだと学生課の人に相談したら『いまさら』って笑われました。でも、日本テレビとテレビ朝日、そしてフジテレビが、まだ募集していました」

聖心女子大の同じサークルの1年先輩に日本テレビで活躍した木村優子アナウンサーがいた。

「木村さんは美人で優しくて憧れの先輩でした。テレビ朝日の番組でバイトをやっていたんですが、プロデューサーから『もう決まってるよ』って言われたんですが『公募してるんですから、行ってみます。ダメで元々』ってフジテレビを受けました。テレビ朝日では『クイズタイムショック』のアシスタントです。俳優の山口崇さんが司会。アシスタントと言っても、クイズ出演者のベルトはめたり外したりと、チラッと映るぐらいのものでした」

(続く)

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◆寺田理恵子(てらだ・りえこ)1961年(昭36)7月15日、東京生まれ。聖心女子大を卒業し、84年フジテレビ入社。89年にドラマ演出家との結婚を機に退社しフリーになるも98年に離婚。00年に一般男性と再婚、引退したが、12年に死別。14年にTBSラジオ「生島ヒロシのサタデー・一直線」で仕事復帰。認定心理士資格取得。血液型A。