宮城を拠点に活動するシンガー・ソングライター伊東洋平(40)が12月25日、仙台サンプラザホールのステージに立つ。「地域発音楽の可能性へのチャレンジ」を目標に掲げ、人との強いつながりや温かなぬくもりといった“宮城の良さ”を発信することにこだわってきた。目指す宮城発の音楽とは何か、今回のステージに懸ける思い、東日本大震災の体験によって変わったという、歌う理由について聞いた。【取材・構成 濱本神威】

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伊東が音楽を始めたきっかけは「栄光の架橋」など数々のヒット曲を誇るフォークデュオ「ゆず」のライブだった。

学生時代はサッカーにのめり込んだ。だが、サッカーをやめた後は、何をやっても手応えのない日々。このままではいけないと思い大学を1年で中退し、地元宮城に戻った。そんな20歳のころに「ゆず」のストリートライブ映像に出会った。「ゆずさんの映像を見ていて、音楽はミュージシャンではないとダメなものではなくて、やってみていいものなんだと思えたんです」。今まで全く弾いたことがなかったギターを手に取ると、そのおもしろさに夢中になった。その後、ストリートやライブハウスでの演奏を経験。音楽で頑張っていきたいという気持ちが芽生えはじめた。

05年、2人組のユニット「イケメン,ズ」を結成。その後、14年8月からソロ活動を開始した。CMソングや小学校でのミニライブ、17年2月にはファーストアルバムを発売するなど活動は順調。そこに影を落としたのがコロナ禍だった。大好きなライブもままならず、このままでは自分の感覚がなまっていくのではという不安や怖さを感じた。そこで、松島、女川をはじめ宮城県外にも出向き、無観客ライブをYouTubeなどで配信した。「できない中で何ができるか、何をやるかを大事にしました。一朝一夕ではいかないと感じましたが、確実にボクの力になっています」。

「地域発音楽の可能性へのチャレンジ」が、伊東の大きな目標だ。「無理をして東京や大阪みたいになる必要はないと思うんです。それよりも、人とのつながりが強かったり、温かいぬくもりがある、そんな“宮城の色味や良さ”を宮城から発信していけたら。クオリティーが高い宮城オリジナルを作りたいと思っています」。その目標を定めてから5年。楽曲のレベルや自身のパフォーマンス向上はもちろん、バンドメンバーの充実など数々のハードルを越えてきた。その集大成が12月25日の仙台サンプラザホールでのライブだ。「やってきたことをしっかりと出し、いい評価をしていただいた上で、もっと足りないと(自分が)思えたらそれが一番ですね。今は、やり切ってそこに立ったときに何が見えるのか、どんな景色があるのか見に行こうという気持ちです」。

東日本大震災から10年。被災地は復興に向け、今もなお前進を続けている。“前進”は伊東にとって大事な言葉となり、自然と歌詞には「前へ、走る、進む、歩く、生き抜け」といった言葉が多くなった。そして、震災の体験は、歌を歌う理由を根本から変えた。「どうやって売れるか、ヒットチャートに乗るかではない。(僕の歌を聴いた)目の前の人が『ありがとう』と泣きながら、笑いながら言ってくれる。これを繰り返しながら仕事にしていくにはどうすべきかを考えるようになりました。そんな仕事を続けていくことができたら、こんなに幸せな生き方はないと思うし、結果としてそれがヒットにつながったらすてきですね」

目の前の大切な人へ宮城発の音楽を届けるため、12月25日のライブの成功へ“前進”する。

◆伊東洋平(いとう・ようへい)1981年(昭56)4月28日生まれ、仙台市出身。宮城を拠点に東北、全国で活動。仙台放送、山一地所など数多くのテレビCMソングを手がけ、20年11月、2ndアルバム「Hereditary」を発売。小学校などでのミニライブ、tbcラジオ、ラジオ3で冠番組のパーソナリティーを務めるなどマルチに活躍中。