タレント荒木由美子が、今月25日に62歳の誕生日を迎えた。1976年(昭51)に16歳で故郷・佐賀を離れて、17歳で歌手デビュー。歌手湯原昌幸(74)と23歳で結婚して引退、義母の介護を経て04年(平16)年に44歳で芸能活動を再開した。今月18日には九州佐賀国際空港で行われた、春秋航空の「佐賀-上海線就航10周年」のイベントに出席した。その軌跡を振り返った。

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76年に「第1回ホリプロスカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞して上京。事務所の寮に入って、高校に通い、レッスンを受けた。77年に「渚でクロス」で歌手デビュー。“ポスト山口百恵”の期待を背負って、順調な芸能生活を送った。

「とっても忙しかったけど、ありがたいことでした。事務所のマネジャーさんやスタッフ、たくさんの人に支えられていました。でも歌ったり、お芝居をするのは私自身。どんなにつらくても頑張ろうと決心していました。母と父が仕事を持っていたので、10歳の頃には台所仕事をして兄との夕食を作るなど自立心が強い子供でした。だから、デビューしても自分ことは自分でやろうと思っていました」

夫となる湯原昌幸とはデビュー前から知り合っていた。

「13歳も年上ですから、恋愛の対象外。グループで食事に行ったりしても、一番安全な存在だったんです(笑い)。それで付き合う時には『結婚前提とした本気のお付き合いなら私も真剣に考えます』と言ったんです。彼も、間もなく正式にプロポーズしてくれました」

83年9月16日、23歳の荒木は13歳年上の湯原と結婚。故郷佐賀の佐嘉神社で挙式して、同28日には東京で盛大な披露宴を開いた。憧れだった山口百恵と同じように、結婚と同時にキッパリと芸能界から引退した。

「結婚したら女性は家庭に入って夫を支えるという考えが強い時代でした。私も、そういう家庭で育ったので当然だと思っていました。故郷の佐嘉神社で挙式ができたのはうれしかったですね。16歳で東京に行って忙しくしていたから、なかなか佐賀の人たちに会うことができなかったので、晴れ姿を見てもらえてうれしかったです。今はコロナの影響で展示を控えているらしいんですけど、挙式の時の写真をずっと飾ってもらっています」

湯原の仕事の都合で新婚旅行にこそ行けなかったが、幸せな新しい生活が始まった。湯原は母1人子1人で育った。そこへ荒木が加わった。

「新婚生活2週間で義母の左足に血栓ができて入院、手術になりました。糖尿病だったんです。カロリー計算して、義母の食事を作って、自分たちの食事も別に作る。子供の頃から料理を作っていたから得意でしたが、翌年には息子も生まれました。やがて義母に認知症の症状が出てきて自宅介護が7年続きました。そして施設に入院して03年にみとりました」

20年に及ぶ義母の介護生活。

「これは私に科せられたハードルなんだと思いました。認知症になった母とはけんかをしないと、嫁としての覚悟を決めて我慢しました」

義母の死から程なくして、43歳の誕生日を迎えた。

(続く)

“ポスト百恵”デビュー、結婚引退も復帰…荒木由美子故郷佐賀と上海つなぐ

◆荒木由美子(あらき・ゆみこ)1960年(昭35)1月25日、佐賀県神埼町(現神埼市)生まれ。76年「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で審査員特別賞。77年6月「渚でクロス」で歌手デビュー。79~80年テレビ朝日系連続ドラマ「燃えろアタック」主演。83年に13歳年上の歌手湯原昌幸と結婚して引退。04年芸能界復帰。15年著書「介護のミ・カ・タ。」。17年CD「私はブランコ」。153センチ。血液型B。