メンバーが政治家に扮(ふん)する社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」のリーダー渡部又兵衞(わたべ・またべえ、本名・由光=よしみつ)さんが7日、亡くなった。72歳だった。11日、所属事務所が発表した。かねて病気療養中だったという。

「渡部コウゾウ」「仙谷ヨシト」「福田ヤスオ」などの持ちネタがあり、グループ創設メンバーでもある渡部さんは、2017年に日刊スポーツ北海道版のインタビューに応じ、故郷・北海道や、糖尿病闘病などについて明るく語りながら、政治家をマネする際の信念なども明かしていた。以下、当時の記事を再掲します(原文まま)。

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国内外の政治から、皇室、芸能・スポーツまで、社会の「今」を風刺コントにしてしまう「ザ・ニュースペーパー」。創設メンバー(最長老!)であり、鈴木ムネオ、土井タカコ、福島ミズホなどの演じ手であり、現在は代表でもある渡部又兵衛(67)に、自身のこと、そして少年時代を過ごし、演劇と出会った故郷・北海道のことを語ってもらった。

いつ聞いても、小気味良く滑舌のいいセリフ回しだなと思う。マイクなしで通る声も衰えを感じさせない。しかし、病歴を聞いてびっくり。糖尿病のため13年前に左足ひざ下を切断し、現在は義足。3大合併症をすべて発症、血管バイパス手術もし、今年は心臓にペースメーカーを入れた。週3回4時間ずつの透析を続け、公演がある時は現地の病院に行ってから舞台へ。

「透析の直後は声が出なくなって、いつも困ったなあと思うんだけど…いざ舞台に立つとさ」と、ニヤリ。「出るんだよね~これが(笑い)。出なくなったら終わりだと思ってますよ。舞台そでで死にたいが、みんながそれ迷惑だって。本当は舞台上がいいんだけど(笑い)、もっと迷惑! だって」。

口調は穏やかで優しいが、「生涯政治家!」(新党大地・鈴木宗男代表のスローガン)ならぬ、「生涯芸人!」の気概がビシビシ伝わってくる。ちなみに、今は「血圧の薬を飲まなくなった」。そのワケは、4年前に結婚した11歳下の奥様の食事管理のおかげ。愛の力なのである。

 

そんな又兵衛さんが演劇にハマったのは、小樽に暮らした少年時代。特に小樽桜陽高時代は文字通りどっぷりで、市内の全高校演劇部と交流し、一緒に1つの舞台を作り上げたことも。アマチュア劇団にも通い、大人や大学生とも交流した。

「青春時代を過ごすにはぴったりの街でしたねえ。喫茶店が多くて、そこに集まって、演劇だけじゃなくいろんな話をして。恋愛もあったし、その後結婚した仲間もいる。今でも小樽に行くと仲間に会いますよ」。東京に暮らして半世紀になっても、小樽の駅に着いて空気をかぐと、「帰って来たなあ」と思うそう。

離れているからこそ、見える北海道の姿もある。「いいものがたくさんあるでしょ。なんたって食べ物ね! すしでも東京とは全然違う。でも、北海道はいいものをもったいない使い方をしてると思う。例えば鉄道も、廃線にせず北海道をぐるっと1周する高級列車を作ればいいじゃない。食べ物を結びつけたら、いい観光資源になると思う」。

日ごろ政治家を演じる目線からも、「北海道をちゃんと見て、ちゃんと思える政治家がいない。北海道のどこがダメで、どこからどうしたらいいかをちゃんとわかってないとダメだよねえ。演じたくなるような特徴ある政治家も少ないしなあ」と残念そうだ。

その点を期待でき、持ち役でもある鈴木氏は、秋の衆院選で敗退した。「いやあ、久しぶりに演(や)れると思ったのになあ~鈴木ムネオ!」。4月に公民権停止が解除、10月に選挙は「時期が早すぎた」と分析する。

「会うといつもぼくの体を心配してくれる」という鈴木氏とは交流があるが、基本「演じてる政治家には会っちゃいけない気がする。会いたくないな」。なぜ? 「んー、情が移るから」。

客観的に演じるため距離が大切ということだろうが、知れば情を寄せたくなるのだろう、又兵衛さんの優しさにふれた気がした。

◆渡部又兵衛(わたべ・またべえ)1950年(昭25)4月10日、新潟県生まれ。小学4年から小樽桜陽高卒業まで小樽で過ごす。桐朋学園短大演劇専攻科(現桐朋学園芸術短大)を卒業後、劇団「民芸」に8年在籍、宇野重吉ほか名優の演技を間近に見て学ぶ。コントグループ「キモサベ社中」を経て「ザ・ニュースペーパー」創設メンバーとなり、現在は代表。著書に「お笑い芸人 糖尿病と二人連れ」ほかあり。