25日付の日刊スポーツ「日曜日のヒーロー」面で劇団「スーパー・エキセントリック・シアター(SET)」を率いる俳優三宅裕司さん(71)を取材した。

SETを率いて43年。来月21日から第60回記念本公演「ミュージカル・アクション・コメディー 堕天使たちの鎮魂歌~夢色ハーモニーは永遠に~」が東京・池袋のサンシャイン劇場で上演される。春に東京・東銀座の新橋演舞場で上演の座長を務める「熱海五郎一座」は毎年観劇しているが、三宅さんの源流であるSETの話を聞くのは初めてだ。

三宅さんと言えば明大落語研究会出身。由緒ある”紫紺亭志い朝”の4代目を襲名。その後は立川志の輔(68)渡辺正行(66)と続く、日本の芸能界にとっても貴重な名跡だ。

東京・神田神保町の生まれの江戸っ子ということは知っていたが、改めてその育った環境のすごさを知った。日本舞踊に小唄、三味線、芸者置き屋にSKD、タンゴにストリングスにグループサウンズ。この素養が生まれ育った環境で、ナチュラルに染み込んでいる。

三宅さんの存在を知ったのは、84年から90年にかけて、月~金曜の午後10時から放送されたラジオ番組、ニッポン放送「三宅裕司のヤングパラダイス」。思えば、もう40年近く“芸能人”三宅裕司を見ている。芸能記者になってからは、TBS「テレビ探偵団」「いかすバンド天国」、日テレ「THE夜もヒッパレ」が印象深い。テレビ史を鮮やかに彩る番組を回していたのが三宅さんだ。

日曜の朝は92年に始まったニッポン放送「裕司と雅子のガバッといただき!!ベスト30」から、今の「三宅裕司のサンデーヒットパラダイス」まで30年も聞き続けている。いつも変わらない感じの三宅さんだが、古希を迎え71歳になった。当然、ずっと見ている記者も還暦を迎え61歳になった。

三宅さんの60代は椎間板ヘルニア、前立腺肥大、スキーで骨折と、ことあるごとに入院が報じられた。

「60歳から68歳までが、趣味・入院、特技・退院って言ってたんですよね」と振り返って笑った。そして「運勢を見る人に聞いたら、60歳から68歳が人生の中で一番悪い年回り。確かに、その間はずっと入退院繰り返していた。68歳すぎてからはスキーで骨折したのを最後になくなりました」と言う。

80年代は、SETの公演で演出を務めて出演しながらも、月~木曜の夜のラジオ、週に5本のテレビレギュラーを持っていた。「忙しくて台本のこと、演出のことが考えられなかった。あの頃が一番苦しかった。よくやれたよね」と苦い目で振り返る。

今は4年前に旗揚げした「劇団こどもSET」について熱く語る。「ミュージカル、アクション、コメディーのノウハウを身につけるのは時間がかかる。気が付くとアッという間に25歳になって、30歳が迫ってくる」と言う。

プレーヤー、そして後進を引っ張りながら、まだまだ元気な三宅裕司を見続けたいと切に願っている。【小谷野俊哉】