アントニオ猪木さんとイラク、北朝鮮へ同行した伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸(59)が1日、取材に思い出を語った。

「弱った姿も(動画で)見てましたんで、それなりの覚悟はできてましたが、少しでも長生きしてほしいと…思っていました」

90年12月、猪木さんとイラクへ平和の祭典に参加し、その後、北朝鮮へも同行。北朝鮮では、ムハマド・アリさんとも一緒になり、すでにパーキンソン病で闘病中だったアリさんを猪木さんが気遣う姿が印象に残っているという。

「アリさんが猪木さんのほっぺに触ったりね。で、アリさんが殴ってみろと言うので、僕が右ほお、猪木さんが左ほおを同時にたたいたりして…。少年時代のヒーローですが、本当に飾らない人でした」

元参院議員の猪木さんは、政治活動でも橋下徹氏が立ち上げた日本維新の会に加わった後、退いた。ただ、維新からは離れても、その維新から出馬していた松浪健太氏の応援に入るなど、「世話になった人への恩は返す」のが身上だった。

菊水丸は「どういう人かといえば、まずは偉そうにしない。誰にでも、話しかけられたら返すときは敬語。道を歩いていて、ファンに声をかけられても敬語。サインを求められたら、それが紙切れでも書く」と、その人柄を振り返った。

駅や空港などで待ち合わせすると、人目を気にせず「堂々と人波に向かって立つような人」だったといい、細事を気にしない豪快さも。その一方で、他者への思いやりや、細かい気配りのできる人だった。

「なんでしょう。みんなにずっと囲まれていたいというか、寂しがり屋だったんですかね」とも感じたという。

最後に会ったのは「7~8年前、大阪のフランス料理店でばったり。でも、あれが最後になるとは思えへんから…どんな話をしたか、覚えてない」とも。

猪木さんは18年ごろ、兵庫・有馬温泉へ湯治を兼ねてきたことがあり、その際には菊水丸は用事があって会えず。ただ、チェックアウトをする際、菊水丸が寄贈した太鼓を掲げてあったため「太鼓があったぞ。来てほしかったな」と電話があったそう。人とのつながりを大事にし、心配りの細やかな猪木さんには感心するばかりだっという。

ただ、イラク訪問から30年になる2022年には同行したレスラーも集めて「イラク30年同窓会」を企画していたが「コロナで実現できんままで…悔しいです」と話していた。