元参院議長で宝塚歌劇団出身の女優だった扇千景(おおぎ・ちかげ、本名・林寛子=はやし・ひろこ)さんが9日午前7時56分、食道胃接合部がんのため都内の病院で亡くなった。89歳だった。13日、松竹が発表した。

夫は歌舞伎俳優で、20年11月12日に亡くなった坂田藤十郎さんで、長男は中村鴈治郎、次男は中村扇雀。すでに近親者のみで密葬を執り行っており、本葬は27日に東京・増上寺で行われる。喪主は長男の中村鴈治郎。

扇さんは54年に宝塚歌劇団に入り、八千草薫さんとともに映画専科に編入され、同年に映画「快傑鷹」で女優デビューした。57年に退団し、翌58年に歌舞伎俳優中村扇雀(坂田藤十郎さん)と結婚。1年後にドラマ「君はいま何を見つめている」で復帰し、芸術祭個人奨励賞を受賞。その後もドラマ「たまゆら」や映画「神々の深き欲望」などに出演し、73年から1年間、フジテレビ系「3時のあなた」の司会を務めた。富士フイルムの8ミリカメラCMで「わたしにも写せます」のフレーズが人気を集めた。

77年の参院選では、福田赳夫首相らの要請を受けて自民党から全国区で立候補し、79万票を得て初当選した。94年には小沢一郎氏の新生党に入党したが、新進党、自由党を経て、00年に保守党を結成し、初代党首になった。00年に森喜朗内閣で建設大臣として初入閣。その後、初代国土交通大臣を務めたが、03年に自民党に復党し、04年に参院議長に就任。初めての女性の参院議長だった。

07年に政界から引退し、その後は、「梨園の妻」として、夫の藤十郎さんを支えた。藤十郎さんの出演する劇場に姿を見せ、ひいき筋の来客などに対応することもあった。14年には創立100周年記念で創設された「宝塚歌劇の殿堂」で最初の100人の1人として殿堂入りを果たした。16年に検査で乳腺にできる初期の乳管がんと診断され、がんの部分切除手術を受けた。術後の放射線治療を19回も受けたが、藤十郎さんは地下鉄に乗って見舞いに通ったという。

20年11月12日に、藤十郎さんが亡くなった。翌21年10月に都内で行われた「偲ぶ会」では「やっと皆さんにごあいさつできます。芝居のことしか分からない人でしたが、皆さんに愛されました。芝居好きな、芝居の人生でした」としのんだ。さらに「ずっと遺骨がうちにありまして。朝から晩まで出られないんです、この人がいますから。何かにつけて涙、涙ですが、私もしっかりしないと。遺骨でもいいからいてくれればうれしいんですが、明日(29日)納骨するので覚悟を決めないと。寂しくなります」と何度も涙をぬぐっていた。

◆扇千景(おおぎ・ちかげ)1933年(昭8)5月10日、神戸市生まれ。54年、宝塚歌劇団で初舞台。58年に中村扇雀(4代目坂田藤十郎さん)と結婚。フジテレビ「3時のあなた」の司会で人気を集め、77年に参院初当選。建設相、国土交通相などを経て、04年に女性初の参院議長に就任。07年に5期務めた参院議員を引退した。

扇千景さん死去、89歳 映画デビュー、レオタード姿、結婚、女性初参院議長など/写真特集>>