俳優仲代達矢(なかだい・たつや)さん(本名元久=もとひさ)が8日午前0時25分、肺炎のため、都内の病院で死去した。92歳。11日、主宰する無名塾が発表した。演劇と映画の両輪で第一線で活躍し、亡くなる5カ月前まで主演舞台を務めた。生涯現役を貫くとともに、後進の育成にも心血を注いだ役者人生だった。通夜、告別式は、近親者のみで執り行い、お別れ会などは予定していない。

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仲代さんの役者人生最後の舞台が上演されたのは、石川・能登だった。仲代さんは能登との関わりが深く、「第2のふるさと」ととらえ大事にしてきた場所だった。

仲代さんは83年に能登を家族旅行で訪れ、中島町(現七尾市)の豊かな自然と人情に魅了された。85年から無名塾の合宿稽古を行うようになり、95年に仲代さん夫妻監修の能登演劇堂が開場。無名塾「ソルネス」でこけら落とし公演を行い、「マクベス」などのロングラン公演、全国巡演の皮切り公演などを行ってきた。能登限定公演も多くあり、演劇に触れる機会を増やすことで、演劇のすばらしさを伝えてきた。

また、地元の人たちと一緒になって舞台を作ることにも熱心で、能登演劇堂の公演では市民エキストラを募集してきた。

24年1月の能登半島地震では、能登演劇堂も大きな被害を受けた。同年10月に「肝っ玉おっ母と子供たち」を上演予定だったが、劇場の特徴でもあるステージ後方の自然の風景を取り入れる大扉、客席の天井、照明などが大きな被害を受け、延期が決まった。発災後すぐに劇場にファクスでメッセージを寄せ、毎日のように電話で状況を聞き、励ましの言葉を送り続けた。

劇場が使用できるようになったのは1年以上たった25年2月22日。3日後に仲代さんは、能登半島地震復興公演と銘打った「肝っ玉-」の公演を5~6月に行うと会見した。仲代さんの最後の出演舞台は、演劇の力を信じる気持ちと、能登への思いが凝縮されたものだった。【小林千穂】