レコード会社「徳間ジャパン」の創立60周年を記念した公演「あの歌もこの歌も軌跡~そして未来へ~」が3日、東京・渋谷公会堂で行われた。
1965年(昭40)6月に三船和子(78)が「ベトナムの赤い月」をリリースしたのが第1号(当時の社名は「ミノルフォン」)だった。その後に千昌夫(78)、山本リンダ(74)らが続いた。
千は「この会社でデビューして今年で60年。年齢は80歳に近いけどこれからもよろしくお願いします」。水森かおり(52)は「半分の30年、徳間ジャパンからデビューして在籍しています。もっともっと後輩のみんなと盛り上げて頑張りたいです」。
一番の思い出は千が「17歳でデビュー。当時の社員は6人。(創業にゆかりがある、師匠の作曲家)遠藤(実)先生を筆頭に『黒字でいこう』と言っていた。でも、協定みたいなものが当時はあったのでしょう。レコード店にミノルフォンのレコードを置いてもらえなかった。本当に苦労して苦労して…、遠藤先生が困っていたんです。そんな時に、先生が作詞作曲した『こまっちゃうナ』で(昭和)41年9月に山本リンダちゃんがデビュー。それまでは本当にこまっちゃうナでした」。山本が「9月デビューで10月にはパーっと」と“合いの手”を入れると千は「そして僕の(同年発売の)『星影のワルツ』。そして勢いが付いた。そうしたら(遠藤)先生も急に元気になっちゃった」と冗談交じりに振り返った。
吉幾三(73)は「千昌夫さんにお金を借りたのがきっかけで徳間ジャパンに入りました」。水森かおり(52)は「『水森かおり』という名前は徳間康快社長につけていただいた。心からこの会社で良かったです。本当に多くの名曲ばかり。今日は第1号の三船和子さんと同じステージに立ててうれしい」と喜びを明かした。千は「健康でいて、こうして60周年の舞台に立てた。70周年も立っているように頑張りましょう」と“徳間チルドレン”で誓い合った。
会場には1800人がつめかけ、歌手は来年1月21日にデビューする新人歌手平山花羽(27)を加えて30組31人が参加。約4時間で57曲を歌唱し、最後は千の代表曲「北国の春」の合唱でメモリアルステージを締めくくった。



