元TBSアナウンサーで、同局の人気音楽番組「ザ・ベストテン」司会や、テレビ朝日系「ニュースステーション」のキャスターとして知られる、久米宏(くめ・ひろし)さんが元日、肺がんのため亡くなった。81歳だった。所属事務所「株式会社 オフィス・トゥー・ワン」が13日、公式サイトを更新し、発表した。
久米さんは埼玉県浦和(現さいたま市)出身。1967年(昭42)にアナウンサーとしてTBSに入社。「ぴったしカン・カン」「ザ・ベストテン」の司会で人気を集め、79年からフリー。85年10月から04年(平16)3月まで19年半、テレビ朝日系「ニュースステーション」のキャスターを務めた。
久米さんが亡くなった。記者が放送担当になった平成初期は「ニュースステーション」でバリバリ。湾岸戦争、住専問題で時の政権に歯に衣(きぬ)着せぬ発言でかみついた。
93年にテレビ朝日の椿貞良報道局長が、民放連の会合で「『ニュースステーション』に圧力をかけ続けてきた自民党は許せない」などと発言。これが偏向報道を指示していたなどと問題となり、国会に証人喚問される事態になった。
キャスターを務めていた久米さんにも、自民党や他局の社長から非難の声が上がった。久米さんは「私の言葉は全て、私の責任で行っている。私の発言を制限されるのは不愉快なこと。国会で問題にされるのは、明らかにマスコミへの圧力」と毅然(きぜん)とした態度を貫いて、報道の自由を守った。
その騒動が落ち着いて、番組が10周年を迎える頃に、久米さんが出席した会見があった。報道の自由や自分の心情を話し終わって、久米さんがマイクの前を離れようとした時に、記者は会場の隅から「『ニュースステーション』はいつまで続けるんですか」と大きな声で質問した。無粋な質問をするなという雰囲気が会場に漂ったが、久米さんはマイクの前に戻って「大切なことだから、お話ししなければいけませんね」と番組に対する思いや、将来の見通しについて話してくれた。優しい報道人だった。
テレビアナウンサーとして売れっ子になったきっかけは欽ちゃんだ。75年10月のTBS「ぴったしカン・カン」スタートの際に、萩本欽一(84)に司会者候補の中から指名された。そして78年1月にスタートした「ザ・ベストテン」では黒柳徹子(92)とのコンビで時代を築き、79年6月に独立。
85年10月に始まった「ニュースステーション」では、キャスターとして日本のニュースショーを確立した。クールなルックスにエスプリの効いた会話、ダブルのスーツをおしゃれに着こなした。歴代のサブキャスター小宮悦子(67)を悦ちゃん、渡辺真理(58)を真理ちゃんと呼ぶなど、従来の堅苦しいニュースのイメージを一新した。プライベートではジャガーを自ら運転してストレスを解消したという。
プロ野球の広島ファンとしても知られた。89年4月には「万が一にもありえないことですが、もし巨人が優勝したら、丸刈りになります。日本一になったら(巨人ファンの)徳光(和夫)さんの番組に出て万歳をします」と宣言。藤田元司監督率いる巨人が優勝した、同年10月には公約通り丸刈りで「ニュースステーション」に登場。シャレが分かり、自分の言葉に責任感を持つ人だった。
早大時代には演劇サークル「劇団木霊」に所属して、田中眞紀子元外務大臣(81)と共に舞台にも立った。TBS入社直後に結核を患ったことなどもあってか、30歳をすぎるまではラジオ番組を中心に担当。その後テレビの主役となってバラエティー、音楽番組、ニュースと駆け抜けた。「ニューステーション」降板後は、若き日に研さんを積んだ大好きなラジオで「久米宏ラジオなんですけど」のパーソナリティーを06年から14年務めた。
長い間ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。【小谷野俊哉】



