吉永小百合(80)が、日刊スポーツ80周年を記念し、取材に応じた。1959年(昭34)に「朝を呼ぶ口笛」(生駒千里監督)で映画デビューし、翌60年に日活に入社。以後、昨年の124本目の映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(阪本順治監督)まで、日刊スポーツの歴代の映画担当、番記者の取材を昭和、平成、令和と3つの時代にわたって受け続けてきた。日刊スポーツに残っていた思い出の記事をひもとき、忘れられない記者など、デビューからともに歩んできた歴史を振り返った。
3月6日付紙面に掲載されたワイド企画では触れなかった話題から、5つのテーマに分けて5回連載でお届けする。4回目は、デビューから67年、全てをささげてきた映画について語る【村上幸将】
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吉永は、25年11月27日に出版した「写真集『吉永小百合』」(世界文化社)に掲載の文章、インタビューの中で「デビューした頃と今とでは映画そのものが違っている」と語っている。その真意について聞くと、60年代の日活映画を代表する“純愛コンビ”として44本もの映画で共演した、浜田光夫(82)との共演作について語り出した。
「1962年(昭37)の『さようならの季節』(滝沢英輔監督)という作品を見ました。横浜の港で撮った映画で、浜田光夫さんが横浜で試写会をやるので、私にも来て欲しいと言われたんですけど、他の仕事があって行かれないので、映画に対してコメントを出したんです。何だか切なくなるような、2人のいい恋の物語で。滝沢英輔さんという、海外で映画を撮っていらした監督(石原裕次郎さん主演の59年の映画『世界を賭ける恋』で海外ロケ)が日本でも撮られた。気持ちが清らかになるような映画だったと思うんですね。今、見返しても、あの時代に、若い人たちの気持ちを描いた作品を、たくさん撮っていただいたということで感謝していますね」
50年代後半からテレビが台頭し、60年代に入り一般家庭にも普及し出すと、映画産業は斜陽を迎えた。
「映画全盛で成長していく時代に、あれだけたくさんの映画に出演することができたことは本当に幸せなことです。体は相当、くたびれていましたけど、それでも何とか続けてやってこられたし、そういう(『さようならの季節』のような)作品が今も残っていて。やっぱり、テレビが全盛になった時、どういうものを作ったら良いか、難しくなって、私も映画に出るのがつらくなって、テレビにいっぱい出たんですけど…」
その中、巡り合ったのが、高倉健さんと初共演した80年の映画「動乱」(森谷司郎監督)だった。1年かけて1本の映画を作ることに感動した吉永が、自ら「最大の転機」と位置付ける作品。83年「細雪」(市川崑監督)も、吉永にとって人生の1本となった。
「30代になって『動乱』、『細雪』など良い作品に巡り会えたのも、またラッキーなことでしたね。すばらしい監督に出会えた。(主演した92年『外科室』、93年『夢の女』で監督を務めた坂東)玉三郎さんも、そうでしたし、いろいろ教えていただけた。若い頃は教えていただくより、とにかく夢中でやるということの方が、大切なことだったから。分からないでやっていたということもあるし」
映画全盛期と今の一番の違いを“勢い”のひと言で評した。
「映画も勢いがあったし、私たち自身も10代で何とかしっかりやろうという意気込みもあった。それが重なったんです。見る方たちも、映画に見に行こうという熱い思いで(映画館に)来てくださった」
2010年代中盤からは、日本でも配信プラットフォームが台頭し、20年代に入って一般にも普及した。野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)はNetflixが独占配信しており、テレビの地上波で視聴・観戦できない事態となっている。吉永は、映画への影響も大きいと口にする。
「映画というものが、なかなか難しくなってきてはいます。Netflixとか、いろいろなタイプものが出てきて、映画館で見なくても見られるものも、増えてきているし。どういう形でマスコミの皆さんと連携し、映画館で見ていただくことを継続できるか、ということは、とても大きなテーマだと思います」
そういう時代だからこそ、作り手と映画メディアが手を携えて映画を伝えていくべきだと訴える。
「いつも、そういうことを言い続けちゃっているんですけど、映画館がない地方とかも結構、多くなってきています。映画人と記者さんが連携して、いろいろなところに、こんな映画がありますよ、ということの(情報)提供が、いつまでもできれば良いなと願っていますね。やっぱり、一生懸命、皆さんに、こういう映画を作ったということを宣伝して、受け止めて見ていただく…本当に手作業だけど、それは大事なことで、それができなくなったら終わりということですね」
吉永は忘れられない映画記者として、厳しい目を向けつつも映画を愛し、自身を追いかけ続け、06年1月に76歳で亡くなった谷口源美(たにぐち・もとみ)さんの名を挙げる。谷口さんから現在までバトンをつないできた、映画担当記者と手を携えて歩み続けることが大事なのか? と尋ねると「そうですね」とうなずいた。(つづく)
◆浜田光夫(はまだ・みつお)本名・浜田斌。1943年(昭18)10月1日、東京都生まれ。子役を経て、高校3年時の60年に日活入りし、同年の「ガラスの中の少女」(若杉光夫監督)で吉永とコンビを組みデビュー。62年「キューポラのある街」、63年「泥だらけの純情」、64年「愛と死をみつめて」などの作品を次々にヒットさせた。68年に日本テレビ系「若い川の流れ」で初のテレビドラマ出演。71年に元宝塚女優の青園宴(うたげ)として活躍した恭美子夫人と結婚、2女がいる。



