話題の映画「Michael/マイケル」を見てきた。お金持ちの知人の音楽ライターが最新設備のそろった東京・新宿の「109シネマズプレミアム新宿」で4500円も払って見てきたと自慢するので、ぜひにもと行ってきた。こちらは定年再雇用の身で3カ月後には無職になることが決まっているので、つつましくシニア料金の1300円でTOHOシネマズ渋谷の最終回を見に行ってきた。

7000万枚以上売れたと言われる、アルバム「スリラー」が1982年(昭57)12月に発売された時は大学2年生。バンドのまねごとをやったり、8ミリ映画を撮ったりの大学生にとって、最新のミュージック・ビデオが発表された同アルバムは、まさに“どストライク”だった。

映画は好き嫌いがあるが、記者にとっては最高だった。最新のサラウンドの音楽設備がなくても、まさに観客席でマイケルと一緒に踊りながら、ムーンウォークをしながら見ていた。ところがだ、ふと気がつくとマイケルと一緒に踊っている観客がいない。観客の平均年齢は30代から40代のカップルが中心。50代のオッサン同士もいる。60代の女性が1人で見ている姿も、ポツリポツリだが見受けられた。

が、躍っているのはオーバー60の記者1人だけ。これは、マイケルに対する思い入れの違いかと考えた。記者はマイケルに対面したことこそないが、今から30数年前の90年代前半にマイケル担当をやっていた。SNSどころがネットもない時代。海外情報も芸能紙面の売りだった。わが日刊スポーツは、毎週の日曜組月曜付の紙面で海外芸能情報を特集していた。ロンドン、ニューヨーク、ロサンゼルスなどから、通信員が送ってくる海外のスターの情報をシコシコと記事にしていた。土曜、日曜の休みは年長者、妻子のある人が優先。一番若い記者は当然のように日曜出社を強いられて、毎週のように日曜の締め切り間際に海外芸能情報をまとめていた。

幸いなことに海外芸能情報のコーナーの評判はよく、中でも超人気のマイケル・ジャクソンの記事は必須だった。ヨーロッパ、アメリカのニュースに網を張った海外通信員の情報は音楽にとどまらず、マイケルの出没情報、そしてその奇行まで細かくリポートしていた。毎週載せるから、ファンがつく。はがきや手紙を送ってくれる人もいたが、東京・築地の編集局まで直接電話をくれるマイケルファンまでいた。その中の1人に、毎週のように眼鏡でおなじみの福井県鯖江市からラブコールしてくれる女性がいた。日曜の夕方になると、デスクから「“鯖江さん”から電話だぞ」と受話器を渡される。

その鯖江さんの情報がすごかった。日本中のマイケルファンに情報網を広げているらしく、なぜか日本にいるマイケルの行動を細部まで教えてくれた。一度は「マイケルは長崎のハウステンボスに今週中頃に来ていました」というものがあった。まさか、お忍びで? と思って記事にしなかったが、後にそれが事実とハウステンボス関係者から知らされた驚愕(きょうがく)したものだった。

21日にはRED WARRIORSの40周年記念コンサート「"RED ROCKS"」を大宮ソニックシティホールで見た。対バンに80年代から共に日本のロックシーンを引っ張ってきたZIGGY。そこに武田真治(53)がサックスで参加する豪華な布陣。RED WARRIORSと言えば、大宮が生んだロックバンド。埼玉・草加出身の記者にとっては、オリジナルメンバーの木暮SHAKE武彦(66)、ダイアモンド☆ユカイ(65)、小川清史(62)は同郷のスーパースターだ。こちらは40代から還暦まで、観客が総立ちでノリノリのパフォーマンスを見せていた。

同世代でありながら、客席が静かだった映画「Michael/マイケル」と、ノリノリだったRED WARRIORSのコンサート。ふと、マイケルが生きていたらと考えたら、今年8月に68歳になる。日本の芸能人で同世代を考えたら、山口百恵、桜田淳子、森昌子の“花の中三トリオ”だった。あのブームは半世紀以上も前、3人とも今は芸能活動をしていない。同時代を生きた者にしか伝わらない魅力もある。客席が静かでもしょうがないかと、しみじみ思った。【小谷野俊哉】