20年8月10日に78歳で亡くなった俳優渡哲也さんの七回忌を前に、渡さんの言葉を集めた箴言(しんげん)集「渡哲也 自分に生きる120の言葉」(青志社)が7日に発売される。

渡さんの言葉は、巧みな弁舌やはやりのフレーズとは無縁で、生き方に裏打ちされたぬくもりのあるものだった。生前、インタビューでは、少年期、青年期、俳優業、石原裕次郎さんや石原軍団との歩み、晩年の闘病、妻や子などを語っている。その言葉から、渡さんの生涯を追い、愛や人生観、死生観に目を向け、120の言葉を収めた。

刊行にあたり、渡さんを敬愛し、石原プロモーションの後輩だった舘ひろしが特別寄稿している。舘は、79年の「西部警察PART-1」』の記者会見の前に初めて会った時のことを振り返り、「渡さんが『舘くんですね。渡です』と言って、しっかりと握手をしてくれました。大スターが、立ち上がってあいさつをし、握手までしてくれる。そんな俳優の方にはお目にかかったことなどありませんでした。あの瞬間に、私の俳優人生は決まっていたかのように思います」と、渡さんの一言で人生が変わったとしている。

同著にはまた、渡さんの青年時代の写真や、家族写真など、貴重なショットが多数掲載されている。

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「渡哲也 自分に生きる120の言葉」から

▼幼い頃の私は気弱で、泣き虫で、甘えん坊で、いつも母のそばにくっついて、スカートの端を握りしめていたように思います。(母雅子さんを語る)

▼プロとは“見せる”ことだと思います。(映像を作る上でのチームプレーについて)

▼「どうも飲み足りないんだよ。酒屋もこんな時間じゃやってないよな」と言いながら石原の目は、「酒を探して来い」という目なんです。(裕次郎さんとのロケ先での思い出)

▼「お父さんはがんだ」と言ったら、こらえきれず泣きだしそうになった。父親より大きくなったといっても、泣き顔は幼いときの表情そのままです。それを見ていると私は、自分の欠点ばかり受けついでいるような息子に、ありったけの愛情を注いでやりたくなりました。(息子が19歳の時に病気を告げた時のことを振り返る)

▼この煙の先には空があって、その上には宇宙があって、そのまた上にも宇宙があるのかな。(好きなたき火を語る)

▼気楽に構えるほど、人生は長くありません。あせるほどに短くもない。人生の価値は時間の長短ではなく、いかに日々を燃焼して生きていくか、その温度にあると私は思うのです。(闘病後の退院会見で)