藤原季節(33=石神井スポーツ)が1日、東京・後楽園ホールで行われたプロボクシング「DANGANオール4回戦」に出場。スーパーバンタム級(55・3キロ以下)で松村航(26=FUNABASHI E-BOX)と対戦し、1回2分6秒TKO負けした。藤原はリングに後頭部を激しく打ち付けてレフェリーが即、試合を止めた、壮絶な敗戦を喫した。
後楽園ホールのリングに立ち、リングアナウンサーから「全国の注目を集めて本日、プロデビュー。藤原季節」とコールされた中、ゴングが鳴った。オーソドックス(右構え)の藤原は、左回りにステップを踏んだ。サウスポー松村の左から遠い距離に動き、自らの右ストレートをカウンターで当てようという狙いが見え、対策の跡をのぞかせた。思い切って右ストレートを放っていくなど主導権を握ろうとしたが、次第に松村のプレッシャーに距離が詰まり、接近戦で松村のボディー攻撃を浴びた。赤コーナー付近で左右の連打を浴びて後退すると、記者席に近いニュートラルコーナー手前で痛烈な左を食った。その瞬間、右広背筋の背骨寄りの部分が大きく震え、藤原は後頭部からリングに沈んだ。すぐ目の前に倒れ込んだ藤原の様子を見て、これはストップだと思った刹那(せつな)に、レフェリーが割って入った。その時、これまでのやりとりが脳内を駆け巡った。
藤原サイドから、今回の話を打ち明けられたのは、7月末のことだった。25年にNetflixで配信された「阿修羅のごとく」(是枝裕和監督)でボクサー陣内英光を演じるため、23年1月から日々、トレーニングを続けていく中で、ボクシングが人生においてかけがえのないものになったこと。同11月に後楽園ホールで試合のシーンを撮影後、諦めきれずに24年9月にプロテストを受けて合格したこと。人生で唯一、続けられた芝居がきっかけで始めたボクシングが、生きる1つの意味となり「やり切った」と言い切るため、後先は考えず1試合にかけると誓って、所属のオフィス作と話し合い、出場を決めたこと。聞いていて、全て理解できた。
それは、NHK連続テレビ小説「風、薫る」(月~土曜午前8時)に出演し“朝ドラ俳優”の1人になる前夜の、まだ名前が広く知られていなかった頃から取材し、藤原の考え方、生き方を知っていたからに、他ならない。10年ほど前、ある映画の中に映っていた藤原の存在感に、脇役ながら目を奪われ、舞台あいさつやイベントで登壇者の中に名前を見つけるたびに、意識的に取材に足を運ぶようになった。いつも熱っぽく語る藤原は、取材している記者まで心が揺さぶられてしまうほど真っすぐで、熱くて…何より、壊れてしまいそうなほど繊細だった。
21年の映画「明日の食卓」(瀬々敬久監督)初日舞台あいさつで、役作りのためにあえて風呂に入らず撮影に参加し「自分、大丈夫かな? 体臭、くさくないかな」と不安だったと吐露。同年のオムニバス映画「DIVOC-12」(ディボック-トゥエルブ、10月1日公開)完成披露試写会では、演じた役が東北の南三陸出身の設定だったため1人で宮城県南三陸町に行ったことを三島有紀子監督から明かされると、感極まって涙が止まらなくなった。
25年9月に群馬県みどり市で行われた主演映画「赤土に眠る」(金子雅和監督、27年3月公開)の製作発表会見の際は、東京から片道10時間かけて自転車で駆けつけた。演じた考古学者の相澤忠洋さんが、赤土から発見した石を学者に認めてもらうために、東京から群馬までの往復200キロを自転車で行き来した事実にのっとり、自発的に行った。
藤原は演じる役と自分自身の人生が、ないまぜになるほど役と作品にのめり込むタイプの俳優だ。デビュー10年と30歳の節目の23年に出版した「めぐるきせつ」(ワニブックス)で、人生の歩みを赤裸々につづった中で、本名は「けんじ」で、自分の居場所を探し続けていると明かした。そのことは「阿修羅のごとく」の役作りが高じたプロボクシングへの挑戦にも通じる…恐らくは、居場所を探す、人生の証を立てるために挑むのではないか? と尋ねた。すると「25年11月の(『阿修羅のごとく』の)撮影から帰って、燃え尽きて正直、俳優を続けられるかと思った。浮き沈みに耐えられる自信を『けんじ』として手に入れたい。肉体を持って闘いたい」と語った。
1回TKO負けした直後の囲み取材で、ボクシング専門とみられる取材者の口から「俳優でプロライセンスを取る人はいるけれど、試合まで出る人って、少ない」との声が出た。藤原は「たった1回の人生なんで、1度しかできない経験をしたかった。年齢的にもリミットが近づき、リアルの世界で戦いたかった」と答えた。
今回の件を書く際に「風、薫る」の撮影、出演中にプロボクシングのリングに立つと書けば、顔が1つの商品でもある俳優として、いかがなものか? などの批判が出ることも予想した。それでも、人としての居場所、生き場所を探している藤原が、そんな半端な気持ちでリングに立つわけはないことを伝えたい思いで原稿を書き、世の中に発信した。
囲み取材の中でも「俳優業で顔が腫れたり、ケガをするリスクはなかったか?」と質問が出た。藤原は「半年間、リスクしかなかった。あざだらけで、メイクさんに隠してもらい、やった。でも(練習は)サボっていないので、悔いはない」と答えた。「冷やかすつもりで、リングに上がっていない。本当に勝つつもりでリングに上がった。中途半端な気持ちでリングに上がったつもりはない。本気でやった」とも口にした。
一方で「本当に厳しい世界です。最後、何のパンチで倒れたか覚えていない。1回で終わってしまって、ショックです。いつもの練習と違った。松村選手の気持ちが強かった。差が出たかも知れない」と悔しさも吐露。磯谷和広コーチは「リングの上で練習したことを出すのは、ほとんど無理。逃げずに戦って、僕は感動した。誰でも逃げたくなるリングで必死に戦った。覚悟は相手に負けていない。先に(パンチを)もらったのは、ちょっとの差」とねぎらった。2人の言葉の、全てが本心だろう。
記者は、大会のスタートから藤原が戦った第8試合まで、リングサイドで取材した。“朝ドラ俳優”藤原の知名度は抜きんでていたにしろ、オール4回戦の大会に出場した選手はデビュー戦か数戦、戦っただけのキャリアの浅い、ボクサーとしては名もなき存在だ。ただ1人、1人に人生があり、ドラマもあり、自らのこれからの未来を、両こぶしにかけて戦っていることを、ひしひしと感じた。
ずいぶん前の話になるが、地方のボクシングジムを3年ほど取材したことがある。選手の中で、何人かは日本ランカーになり、藤原が立った後楽園ホールのリングでタイトルマッチに挑んだボクサーも2人いた。どちらも下馬評は不利だったが、1人は敗れ、もう1人は勝って最終的に世界ランカーになった。とはいえ、地方のジムのボクサーは、そのクラスになってもボクシングだけでは生計を立てられず、正業を持ち、試合前ながら仕事でジムで練習できない日もありながら、できる限りの鍛錬を積んで、リングに立った。
囲み取材で俳優業について聞かれていた藤原の姿、そして藤原の試合の前に戦っていたボクサーたちの姿、双方から、仕事を持ちながら後楽園ホールのリングに立つまでになった、地方ジムのボクサー2人のことを思い出していた。確かに、芸能記者として藤原の件は、芸能ニュースの大きな話題として書いた。以前から、よく知っていた分、書く指に力がこもったことは、否定しない。それでも、この件については、1俳優ではなく、1人のボクサーとして原稿を書いていた、というのが本心だ。
これから、再び俳優としての藤原のことを書くことになる。今回の試合を経て、人間・藤原季節のこの先を、ますます見たい気持ちになっているのも、偽らざる本心だ。【村上幸将】



