「おう、(今日は)なん(の仕事)や?」。吉本興業の本拠地、なんばグランド花月(NGK)近くの裏通り、すれ違いざまの目尻が下がった目が真っ先に浮かぶ。駆け出し時代、吉本担当に就くと、毎日、自身の会社以上に、花月へ通った。思い通りに行かず、眉間(みけん)にしわでうつむいて歩く日も。「あかんで、おんなは愛嬌(あいきょう)や」。何げない、かけ言葉に何度救われたかしれない。

ザ・昭和の芸人。やんちゃを地でいったボタンさん。「奥さん」と「嫁さん」がいて、借金で首が回らない-のが、コンビの王道ネタのひとつだったが、実際、ボタンさんはかつて「昔の話やけどな、借金取りいうたらな、田んぼの中、走って逃げて、そのまま国道出て、必死で走ったん覚えとるわ。まあ、よう走ったで」と話していた。

人生の修羅場をくぐり抜けた肝の座りっぷり。“アイドル的漫才師”の走りだった洒脱(しゃだつ)感。本拠地NGKの東側駐車場入り口に、女性数人が出待ちしていれば「今日は出番」と分かった。テレビ局でもおなじみの光景だった。

追っかけファンも多数いたが、キケンな香りも魅力のひとつだった。笑いの殿堂NGKでトリを務め、上方漫才の頂点(上方漫才大賞)も3度極めた。カウスとのしゃべりだけでわかせる話芸は当代随一。互いのプライベートには干渉せず、私生活では一線を画しても、板(舞台)の上では、互いをプロと認めあう戦友だった。オチが分かっていても爆笑を奪う、間や話術は唯一無二。だから、ボタンさんが血を吐き倒れるまで、半世紀以上、コンビを続けられた。

そんなボタンさんが、鋭い目つきで言った言葉がある。吉本が06年、東京で「浅草花月」をスタートさせた際の会見だった。

「芸人いうんは、お客さんに育ててもらうもん。吉本の芸人も、みんな(寄席出演で)お客さんに育ててもろてきたんです。生意気なこと、言うようですが、今は、タレントさんはどんどん育ってますけど、芸人さんはイマイチかな、と思うてます」

血をはいても板に立ち、表舞台から身を退いても月亭八方、桂小文枝ら仲間との絆を絶やさなかった。最後まで、かっこいい“ほんまもんの芸人”だった。ボタンさんにもう一度、聞いてみたかった。「芸人はあれから育っていますか?」【村上久美子】