ジャニー喜多川氏(故人)による性加害問題で、前検事総長ら外部の特別チームは「40年超に及び、被害者は数百人という証言もある」とする報告書をまとめた。その中でメディアの責任にも言及。「事務所は批判がないことから自浄能力を発揮できなかった」とした。

この点に関して国連人権理事会はもっと手厳しく、「日本のメディアはもみ消しに加担したと伝えられている」と指摘している。

こうした批判が渦巻くなか、私は旧知のテレビ朝日の玉川徹さんの発言に少なからず心を動かされた。

「ぼくは、少なくとも週刊文春の裁判のあと、性加害の事実認定があったことは知っていたわけです。だけど、ぼくの仕事じゃないなと思っていた。間接的に逃げていたのかなって」

この言葉に胸に手を当ててみた記者やテレビ人も少なくないのではないか。私自身、こうした問題に限らず、さまざまな場面で「それをぼくに言われてもなあ」と何度受け流したことか。

そんなとき、この性加害問題をいち早く紙面で取り上げた大久保真紀朝日新聞編集委員が、2年前の5月、さわやかな季節に日本記者クラブ賞を受賞された際の一文を、このコラムで紹介したことを思い出した。

大久保さんは〈理不尽な社会の中で、懸命に生きている人たちに吸いよせられるように取材を続けてきた〉としている。

そのうえで、それを書き続けることは〈知ってしまった者の責任〉と、きっぱりと言い切っている。

いまさらながらの私を含め、今回の件は多くのメディア関係者に〈知ってしまった者の責任〉を長らく問い続けることになるはずだ。

◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。