先週17日午前5時46分、私は神戸・東遊園地からのテレビ中継に合わせて阪神間と、そしてもう1カ所、能登に向けて黙とうをささげた。阪神・淡路大震災は発生から29年を迎えた。追悼のつどいの竹灯籠の文字は、今年は「寄り添うよ」の思いを込めた“ともに”だった。

黙とうの前、テレビに流れた当時の映像と、その時点で1万5000人の人々が避難所生活を送る能登の姿をダブらせながら、私の胸にあの時のひとつの光景が浮かんだ。

発生から10日余り。早朝、神戸の中学校の避難所を訪ねると、世話役の方が「きょうだけは取材を遠慮して」と言う。先ほど高齢の男性が息をしていないことがわかった。持病があった上に極寒の日々、疲労も重なったらしい。敷き詰められた雑魚寝の布団の向こうに家族らしい人の姿があった。

そして同じ季節の能登。震災関連死が日々増える中、体育館の床に敷き詰められた布団のテレビ映像を何度見たことか。避難所に欠かせないのはB&T、ベッドとトイレと気づかせられ、この間に吹雪が舞っていたあの東日本大震災も経験しておきながら、一体、私たちは何をしてきたのか。

段ボールベッドや簡易テントは寒さ対策になるし、プライバシーも守られる。何より軽量で備蓄しやすい。そして避難所に井戸を掘れば、生活用水とトイレの問題が解決することは原発被害の福島で明らかになった。

いますぐこの2点を指定避難所に義務づけ、国費で全額まかなったらどうだ。

能登はやさしや、土までも-。そんな能登の人々や土地柄、そして東北の人々の辛抱強さにすがっていてはいけない。阪神・淡路大震災29年は、そのことを突きつけている。

◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「NEWS ONE」などに出演中。