党首討論が9日、国会で開かれる。実に2年ぶりで、菅義偉首相にとっては就任後、初めてだ。2000年(平12)に本格的に始まり、導入時のモデルにした英国では「クエスチョンタイム」と呼ばれる通り、本来は討論の場。過去には確かに丁々発止の議論もあったが、第2次安倍政権以降は党首同士の一方的な主張が目立ち、討論とは言いがたい。会期末近くに“駆け込み”のように設定されるケースもあり、セレモニー的な雰囲気も漂う。

時間は申し合わせで45分と決まっている。野党各党首の持ち時間は第1党でも20分前後で、数分のケースもある。毎回毎回、最後は早口で質問をしたり、尻切れとんぼの消化不良で終わるのがほとんどな側面も、存在自体にどこか「セレモニー=やりました感」につながっている気がする。

会期末寸前に与野党党首の対決の場を設けることは、国会日程を決める側の与党側には「やりました」という既成事実をつくることができる。今年は4年ぶりに、東京都議選と衆院選が重なる年。野党には、選挙を前に総理と対決する見せ場づくりにもなる。約9年前、2012年11月の党首討論では、当時の野田佳彦首相が衆院を解散してもいいと安倍晋三自民党総裁に迫り、取材していた委員会室は議員もメディアも大騒ぎになったが、こんなふうに緊張感が漂ったケースは、あまり記憶にない。

ただ今回はセレモニーでは済まない。重大局面の場となる。新型コロナウイルス感染拡大が収束しない中、東京オリンピック(五輪)・パラリンピック開催へ進む菅首相には、感染症専門で新型コロナ対策分科会の尾身茂会長から「尾身の乱」と称されるような疑念の言葉が向けられる。昨秋の首相就任以前から「五輪はやるよ」と明言していた首相だが、コロナ禍という有事になぜ、どうやってやるのか、正面から答えないと、開催に不安を覚える国民はがっかりする。「安心、安全」を繰り返しても始まらないのだ。

ただでさえ「言葉力」に不安があり、国会でも質問と答えがかみ合わない菅首相。トップバッターの立憲民主党の枝野幸男代表は当然、政府のコロナ対応やオリンピック開催について切り込んでくる。国民の関心が高い話題がテーマになる以上、首相の答えに「なるほど感」が漂わなければ、史上最悪のセレモニーになりかねない。

今回の討論はコロナ対応のため、出席議員の数は従来より相当減る。閣僚や与野党議員が所狭しと陣取り、身内には拍手を送り、相手の党首にはヤジを飛ばすこれまでの風景が、一変する。ヤジで質疑が聞こえないこともなさそうだ。予算委員会なども違い、ある意味、シンプルな舞台設定で行われる菅首相VS野党党首。見応えある討論になるのか、それとも「やりました感満載」の最悪のセレモニーで終わるのか。すべては菅首相の言葉次第だ。