土壇場までごたごたが続いた東京オリンピック(五輪)・パラリンピックは、前日までの「関係者辞任ドミノ」問題が一時休戦するように、五輪の開会式にこぎつけた。ブルーインパルスの五輪飛行は多くの人が共感し、歓迎したものの、大会そのものにはそういう空気ばかりではない。それでも、とにもかくにもオリンピックは始まった。

「過去、日本でオリンピックが行われた年に、時の政権が続いたケースはない。最悪のジンクスなんだ」。日本で五輪が開催されることに絡んで、永田町に長く務める人はこういうジンクスを口にする。

過去の夏冬大会でのケースはこんな感じだ。

<1>1964年東京五輪 当時の池田勇人首相は健康問題で大会開会式翌日に退陣表明。佐藤栄作内閣に

<2>1972年札幌五輪 佐藤栄作首相は長期政権を築いたが、大会後の7月に内閣総辞職。田中角栄内閣に

<3>1996年長野五輪 橋本龍太郎首相は、大会後の参院選で自民党惨敗の責任を取り辞任。小渕内閣に

そして<4>は、本来なら大会が開催されるはずだった昨年。大会の1年延期を決めた安倍晋三首相は体調不良で退陣し、現在の菅義偉内閣に。昨年はイレギュラーではあるが、事実上確率100%のジンクスだ。

政界にはほかにも、ジンクスがある。「中日がリーグ優勝の年」「ねずみ年」には、いずれも時の首相が辞任するという具合に。ただ、五輪開催年に時の政権が倒れるといっても、これまでは五輪そのものとの因果関係はなかった。昨年の安倍前首相の退陣も新型コロナ対策が引き金となった側面が大きく、五輪は直接的にはリンクしていなかった。

しかし今回の東京大会は、コロナ第5波の中での開催で今も賛否両論があり、開会式当日にも中止を求める動きがあった。自国開催の五輪と政治の「近さ」がここまで目に見えるようになった経験もない。裏返せば、東京大会の成果そのものが政権の今後の鍵を握る形にもなっている。

菅首相は官房長官として支えた安倍前首相からの「置きみやげ」でもある五輪開催に、強くこだわってきた。野球少年で空手部出身とはいえ、スポーツと縁深いイメージは少ない。むしろ五輪開催で国民の熱気が盛り上がり、低迷中の支持率アップや総裁選や衆院選といった「秋の陣」勝利に備えるという青写真が、あるとかないとかいわれている。今の段階では、あてが外れているのは明らかだ。

日本選手団の躍進で国民が大会に熱狂しようとも、「菅さんのおかげ」と思う人はどれほどいるだろう。大会が盛り上がるのは選手個人の力のおかげ。大会開催の判断をしたといっても、首相のおかげではないだろう。日本選手団は大会2日目の7月24日、さっそく男女柔道で金、銀メダルと幸先良いスタートを切った。この先、首相が思い描く通りにことは進むだろうか。

「五輪開催年の首相は退陣」というジンクスを破れるかどうかは、ひとえに首相の政治姿勢次第だろう。もし年末まで菅政権が続けば、前回の東京大会に始まって以降の「負の連鎖」ともいえるジンクスを止めることにもなる。次に日本で五輪が開催された時に首相でいる政治家には、実に心強いだろう。菅首相には「辞任ジンクス阻止」という役目もあるわけだ。

ただ今回は、五輪開催をめぐって過去に経験のない異例のすったもんだが続き、五輪に対する国民的感情もこれまでとは様変わりした。次に日本で五輪が開催されるのは、いつのことになるだろう。そしてその時「辞任ジンクス」は存在するのか、消えているのか。どちらになるだろうか。