自民党最大派閥安倍派(清和政策研究会)でこの1年あまり続いてきた、安倍晋三元首相に替わる新会長の選任問題は「当面は決めないことが決まる」という決着で、8月17日の総会で1つの結論が出た。「決めない」というより「決められない」だったが。会長だった安倍氏の死去後、会長代理として1年間、表に立ってきた重鎮の塩谷立元文科相(73)が「座長」的なまとめ役の立場になり、その下に新しい意思決定機関の「常任幹事会」を設置。松野博一官房長官、西村康稔経産相、高木毅国対委員長、萩生田光一政調会長、世耕弘成参院幹事長の有力5議員、通称「5人組」を据え、派閥運営の重要事項を決める「集団指導体制」のスタイルになるという。

これまで安倍氏という絶対的な「顔」から、トップの力が分散する形に。集団指導体制というのは聞こえはいいが、そう簡単なものでもないらしい。安倍派議員の関係者は「塩谷さんはあくまで対外的な『連絡役』。いずれは会長にともくろむ人もいる5人組の『重し役』でもあるが、派閥運営の主導権はだんだん5人組のほうに移り、世代交代を余儀なくされるだろう。けしていい役回りではない」と話す。塩谷氏自身、派閥会合の後の取材に「集団指導体制」という指摘に「あまりその言葉は使いたくない」「派閥は本来、会長の考え方がすべて。その人がいない中、ある程度常任幹事会で決めていく。集団指導体制になるとみんなの意見を聴いてとなるが、派閥の運営はそれにはふさわしくない」と、立場の苦しさをにじませるような発言もあった。

「5人組」の中でも、将来に向けた方向性は必ずしも一致していないという。リーダー候補たちによる主導権争いの火だねもはらみ「船頭多くして船山にのぼる」を体現しかねないのが実情のようだ。

ところで、最近の安倍派の動きを見る上では、かつての清和会オーナー、森喜朗元首相による「『お告げ』のような展望」(自民党関係者)に、関心が集まることが定着してきた。森氏の地元の地元紙「北國新聞」が隔週で連載している「総理が語る」という企画記事があり、森氏の登場回の記事が掲載されると、永田町関係者の間にコピーが回る。今月7日付分には、今回決まった「塩谷座長&常任幹事会」について触れられていた。6月の記事には、5月に開催された安倍派パーティーを自身が途中退席した理由を語り、安倍氏の一周忌までに会長を決めるよう派閥の幹部に伝えたものの現状では難しいだろうとの見通しを示していた。いずれも実際、その流れ通りになった。

「記事で森元首相が語っている内容と現実に起きていることの『答え合わせ』をすると、結果的に矛盾がほとんどない状態が続いている。森元首相の影響力が依然強いというのか、安倍派の幹部が森さんをいかに頼っているというのか」(関係者)。8月分の記事には、塩谷氏とともに安倍派会長代理を務めるベテランの下村博文元文科相について、厳しい指摘がなされていた。下村氏は会長就任に意欲的とされてきたが、新体制からは外されるとの見方が強い。これも、森氏の「展望」通りの流れになるようなら、「『船頭多く』の船頭たちの上にもっと偉い船長がいるような状況といえなくもない」(永田町関係者)。そんな状況がいいのかそうでないのか、今は答えを出せる状況でもないのかもしれない。

自民党の派閥は、勢力拡大や衰退、分裂などの歴史を繰り返しながら続いてきた。かつて、大きな力を持った田中派や竹下派の流れをくむ平成研究会(現茂木派)は、橋本龍太郎元首相が会長の時代に「政治とカネ」の問題で会長職を辞任して以降、会長空席が1年あまり続いた期間がある。結果的にその間に、最大派閥の座を清和会に明け渡した。今回安倍派が置かれている現状とは異なるが、トップが不在という状況はさまざまなリスクを生むことにもなる。

清和会も過去に分裂の歴史を経て最大勢力になり、今は100人という大所帯になったが、安倍氏の死去で「久しぶりの派閥の危機」(自民党関係者)に陥った。「突然の安倍さんの逝去で誰も準備をしていない。ある程度の時間は必要だが(いつかは)そういう(会長に手を挙げる)人に出てきてほしいという思いはある」。塩谷氏が言う「ある程度の時間」がどれくらいの長さになるのか、まだ見通しすら立っていない。【中山知子】

(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)