神奈川県座間市のアパートで9人の切断遺体が見つかり、無職白石隆浩容疑者(27)が死体遺棄容疑で逮捕された事件で、唯一の男性被害者となった同県横須賀市の福祉関係職員、西中匠吾さん(20)が所属していたバンドが11日、西中さんの身元判明後の初ライブを千葉市内で行った。

 西中さんがベース担当として昨年10月から活動していたバンド「BYE BYE NEGATIVES(バイ・バイ・ネガティブズ)」のリーダー、寺田敏也さん(34)は「本当に残念。最悪の結果になってしまった」と悲痛な思いを語った。この日はサポートメンバーとともに演奏。本来なら隣にいるはずだった西中さんへの思いも込めて、約30分間熱唱した。グループの代表曲「LOVE ME AGAIN」も披露。西中さんと2人で「来年はインディーズでシングルCDを出そう」と計画していた曲だった。

 西中さんが行方不明になったのは8月29日だった。携帯端末の情報が最後に確認できたのは、神奈川県海老名市内。事件現場の最寄りの小田急線相武台前駅から海老名駅までは、わずか2駅だった。寺田さんはその前日、西中さんと電話し、今後の活動予定などについて会話。特に変わった様子はなかったという。その後、9月初めに西中さんの親から「息子が2、3日帰ってこない」と連絡を受け、SNS上に捜索依頼を書き込むなど、音楽仲間らとともに捜索を続けてきた。

 寺田さんはその中で、西中さんが「自殺サークルのようなものに入っていた」と話す友人にたどり着いた。西中さんは、電話などで同サークル内の人物と連絡を取っていたといい、その友人は「頼むからそんなことはやめてくれ」と説得していたという。

 西中さんは、バンド仲間の間で“マック”という愛称で親しまれていた。行方不明になる直前の8月20日に、西中さんと一緒に音楽フェス「サマーソニック」を見に行った音楽仲間の田中幸一さん(46)は「マックは最後に登場したフー・ファイターズ(米ロックバンド)を見て、『こんなバンドになりたい』と夢を語っていた」と振り返った。

 この日は、交流があった他のバンドメンバーが、西中さんのために作った歌を歌い、ファンや仲間が涙を浮かべた。30代男性は「彼は仲間内では最年少で弟のようにかわいがられていた。面白くて、本当に良いやつだった」と目を細めた。寺田さんは「何でこうなってしまったのか。真相を知りたい」と力を込めた。【太田皐介、三須一紀】