プロ野球広島が26日、球団史上初のリーグ3連覇を達成した。今季限りでの引退を表明した新井貴浩内野手(41)と交流のあった漫画「はだしのゲン」の作者、故中沢啓治さんの妻ミサヨさん(75)は日刊スポーツの取材に応じ、亡き夫の気持ちを代弁した。12年12月に73歳で亡くなる前、中沢さんは新井に「麦のように生きろ」と言葉を贈っていた。27年ぶりの地元胴上げに広島の街が真っ赤に染まった。カープを愛す人々は34年ぶり日本一を願った。

待ちこがれた27年ぶりの地元胴上げ。歓喜の輪の中にいた新井を見たミサヨさんはあの日のことを思い出した。11年9月、新井は小学校の恩師の仲介で肺がんで闘病中だった中沢さんの入院先を訪れた。

「主人はすごく楽しそうだった。コツコツと努力を続ける新井選手と自分を重ね合わせていたようでした」。広島市出身の新井は漫画「はだしのゲン」を読んで育った。中沢さんは熱狂的なカープファン。往年の名選手の中でも、努力を惜しまず、常に全力でプレーする新井が好きだったという。

病室で新井は「感謝」と書いたサイン入りのバットをプレゼント。中沢さんはお礼に「麦のように生きろ」と書いた色紙を贈った。「麦のように-」には中沢さんの強い思いがあった。

「はだしのゲン」は、冬に麦が踏まれる場面からスタートする。主人公・中岡元の父親は踏まれながらも真っすぐに育つ麦を人生に例え、「麦のように強くなれ」との言葉を残し、原爆で倒壊した自宅の下敷きになり焼け死んだ。

中沢さんは独学でコツコツと漫画を描いた。「作品に妥協せず、深夜になっても自分が納得いくまで何度も描き直していた」とミサヨさん。新井はドラフト6位で広島に入団。注目選手ではなかったが、猛練習ではい上がり、05年には本塁打王に輝いた。

2人が対面した時、新井は阪神に移籍していた。ミサヨさんは「麦のように-」について「つらいことがあっても負けるなよと伝えたかったのではないでしょうか」。スランプのたびに必死にはい上がる新井の姿と、踏まれても立ち上がって真っすぐに成長する麦を重ねていたのかもしれない。2人の交流は続き、中沢さんは新井のバットを「宝物」として大切にしていた。

「生きていれば3連覇を喜び、きっと新井選手に『よう頑張った』と声をかけ『次は日本一で有終の美を』と伝えたはずです」。34年ぶりの日本一へ。天国から中沢さんも見守っている。【松浦隆司】

◆「はだしのゲン」 漫画家の故中沢啓治さんが自身の被爆体験を基に描いた。73年6月4日に集英社の週刊少年ジャンプで連載がスタート。原爆のむごさと平和の大切さが描かれ、累計出版部数は1000万部以上。世界各国で翻訳されるなど「ヒロシマ」を代表する作品。