国賊を道連れに最後に一花咲かせようか、潔く足を洗おうか。還暦を前に、若手に代を譲った右翼団体幹部が選んだのは、タクシー運転手だった。東京の街を流していると、ある日の夜、渋谷の街でバンドマン風の男を拾った。
◇ ◇ ◇
「初台まで」
格好は若いが、年の頃は50代だろうか。
「俺、乗る前に運転手さんの顔見て、ピンときました。怖い人かな、と」
ドキッとした。前職は隠して働いている。どこかで会った男か。動揺を隠して言葉を返す。
「出稼ぎに来たんですよ。60歳になりますが、田舎には仕事がなくてね。数年、東京で稼いで帰るつもりです」
「でも、これまで相当な悪さしてきたでしょ」
気のよさそうな男だった。車内の会話は弾み、降車の際、男は握手を求めてきた。
「また、運転手さんの車に乗りたいな」
「運があれば、また機会がありますよ。私も楽しみにしています」
横柄な客、酔っぱらい、いちゃつくアベック。頭に血が上る。でも、温かい出会いが、この仕事も悪くない、と思わせてくれる。
国のため、大和民族のため、この三十余年、右翼運動に身をささげてきた。荒っぽいことも、ずいぶんやった。それもこれも国を思えばこそだ。
代を譲ったのは1年前。跡を任せた若手には「自由にやれ」と言ってある。「お前も60前に、若いのに渡すようにしておけ」と言って、20年ほど前、59歳で自分に代を譲った先代に倣った。
右傾化が叫ばれる近年だが、右翼団体の構成員は減少している。かつては企業の総務との付き合いや、志ある人たちによる経済的な援助が運動を支えていた。近年は、コンプライアンスとやらが行き届き、そんな時代ではなくなった。食い詰めた元幹部や功労者が犯罪に手を染めたり、金持ちにたかったり、若手に負担を強いたりする例も少なくない。
誰もが知るプロスポーツ界を巡る金銭スキャンダルを裏から動かしたこともあり、その世界では名を知られた存在だ。「変なシノギに手を出したら、右翼を辞めた意味がない」と、若い頃とった普通自動車の2種免許を持って、タクシー会社の門をたたいた。
面接に出てきたのは、怖い顔した幹部社員だった。書類への記入を求められ、正直に書いた。暴力団と関係があるか。「なし」にマルをつける。政治結社、右翼団体。「元」にマル。逮捕歴。「あり」。前科前歴。「多数」。
「まじめに書きすぎです」。怖い顔の幹部は言う。
「?」
「恐喝、威力業務妨害、暴力行為等処罰法。男稼業をやってきたのでしょう。恥じることはありません。いいでしょう。採用します」
半信半疑でいると、幹部は言葉を継いだ。
「あなたは、天下国家を語って生きてきた。でも、これからは運賃410円で頭を下げる。苦労しますよ。タクシー業界は、何かと下に見られてきたけれど、私たちが改善してきちんとした業界にしていきたいのです。他の運転手やお客さんとけんかしちゃダメですよ。何事も我慢です。できますか? あなたならできると、私は信じています」
涙が出そうになった。採用してくれた幹部に礼を尽くし、やれるところまでやると決めた。
乗務を始めると、怖い顔の幹部が言う通り、腹の立つ客ばかりでストレスがたまり、勤務明けはひどい頭痛に悩まされた。だが「60前に仕事を失い、出稼ぎに来た新米運転手」という仮面をつけ、道化に徹することを覚えると、気が楽になった。
そんなある日、品のよさそうなご婦人を乗せたところに「竹島返せ」と訴える右翼の街宣車が通った。
「いやねぇ、うるさくて。右翼が騒いだって、どうなるものでもないでしょう」
これが大衆の生の声なのか。体の力が抜けた気がした。
右翼に未練はない。だが、警察は、偽装だ、何かあれば、タクシーで突っ込むつもりじゃないかと疑っているようだ。たたけば、多少のほこりは出る身の上だ。何年も前の経済事件でも持ち出されてはたまらない。「今はタクシー運転手だ。もう、俺に触るな」と警察には言ってある。
公園で休憩中、メールの着信音がする。娘からだ。
「がんばってる?」「たばこ吸い過ぎないでね」
人並みに妻に給料を渡し、娘とのたわいもないメールをやりとりする穏やかな毎日。この上なく幸せだと感じながら、今日も客に頭を下げる。「ご利用、ありがとうございます」
◆タクシー運転手の現状 東京タクシーセンターによると、東京23区と三鷹、武蔵野両市の法人タクシー運転手は、2017年でおよそ6万人。00年代初めに規制が緩和され、09年には過去30年で最多となる約7万5000人に上ったが、その後の抑制策によって、現在は減少傾向にある。平均年齢は58・4歳で、96年比約8歳、高齢化した。近年は、業界のイメージアップも狙って、新卒や女性の採用も進んでおり、女性は約1400人(多摩地区、島しょ部含む)で過去最多。新卒も18年で約1400人が採用されている。
◆右翼運動の現状 警察庁によると、右翼団体の構成員は1992年以降で最多だった93~95年の1万6000人から、2017年には、7000人とほぼ半減した。批判や抗議活動に伴う動員数をみると、かつては北朝鮮や韓国、中国のほか、国内政権に対する批判、抗議に年間1万人以上、動員するケースもあったが、13年以降は、同年の韓国に対するもので約5700人を動員したのが目立つ程度で、1万人を超える活動はない。右翼団体の構成員による資金獲得を目的とした事件も低調で、03年には約500件、約800人が摘発されたが、17年には208件、228人と激減している。