新潟県で最大震度6強を観測した18日夜の地震から一夜明けた19日、各地で被害の詳細な状況が明らかになってきた。秋田、宮城、山形、新潟、石川の5県で計29人が負傷。うち2人が骨折の重傷を負った。総務省消防庁によると、少なくとも800人以上が避難所に身を寄せた。震度6強の新潟県村上市の沿岸部の住民は、18日午後10時22分の大きな揺れの後、津波を心配し、暗闇の中で避難所へ急いだ状況を明かした。

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震度6強が観測された村上市では、断続的に強い雨が降り、大雨警報が発令された。土砂崩れの恐れがある北部の山北、朝日地区には市が避難準備情報を出した。市内で被害が最も大きかった山北地区の府屋では、山北総合体育館で敷地内の、のり面が崩落した。亀裂の大きな部分にはブルーシートが貼られ、のり面の下には崩落を防ぐため、土のうを120個積み上げる簡易の復旧作業が雨の中、急ピッチで進められた。

体育館や、体育館と道路を挟んだ向かいにある村上市山北支所周辺には、塀が倒壊するなど激しい爪痕が残った。支所近くで1人暮らしをする小田吉重さん(67)の築35年の自宅は、壁に大きなヒビが入った。「上下に激しく揺れ、壁の上下が縮まったようになった後、横に揺れた。つぶれたら、どうしようと思った」。1964年(昭39)に震度5を記録した、新潟地震の時は小学生だったが「その時よりすごい」という。近くに住む市生涯学習課の板垣敏幸課長も「晩酌していたらドーッと体験したことのない揺れがきた」と振り返った。

山北地区に4カ所開設された避難所は、津波注意報発令後、ピーク時は502人が避難したが、19日午後2時段階の避難民は「ゆり花会館」に避難した20人にまで減った。それが1時間後には31人に増加。その多くが同じ沿岸部で町の東に山がそびえる、8キロ強離れた寒川(かんがわ)の住民だった。

小学生2人、保育園児1人の子供3人と寒川から避難した40歳の女性は自宅で被災。津波注意報が発令されると、すぐに高台に建つ旧山北町立寒川小学校(04年に廃校)へ、子どもたちを連れて車で逃げた。消防団の活動で夫が不在の中「東日本大震災の印象があり、やっぱり津波は怖かった。子どももパニックになったが、学校の避難訓練でも津波のことを教わっていて『学校に行こう』と言って逃げた」という。

一夜が明け、1度は帰宅したが、今度は大雨による土砂災害の恐れがあり、近所の住民と手分けして地域の高齢者と一緒に福祉センター「ゆり花会館」へ避難した。連日の避難に「山も近いので土砂も本当に怖い」とうつむいた。

村上市と県境で隣接する山形県鶴岡市の温海温泉周辺にも夕方以降、断続的に雨が降り、各地で土砂災害への不安が高まっている。【村上幸将】