慎重な発言で次期首相の座に最も近づいている菅義偉官房長官(71)と、数々の失言で大臣を棒に振った桜田義孝元五輪担当相(70)が実は似ていることをご存じだろうか。初めて小選挙区比例代表並立制で行われた1996年の衆院選で初当選した同期。政界入りまでの道のりも2005年に小泉内閣で副大臣になるまでの歩みもほぼ同じ。いや、実は桜田氏が先行していた。桜田氏を直撃した。

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衆院第2議員会館11階。桜田氏の事務所は菅氏の事務所と3部屋挟み、同じ並びにある。96年初当選同期の山口泰明党組織運動本部長によると、今もって菅氏のことを「菅」と呼び捨てにしている同期は桜田氏だけだという。「みんな、『長官』とか言っているが、俺は『菅』だね」と桜田氏。菅氏も「桜田」と呼ぶ。学年は1年違うが、それだけ似た歩みをしてきた。

農家の生まれで、高校卒業後、苦労して大学で学んだ。集団就職した菅氏が段ボール工場で働きながら学費をためたエピソードは広く知られるようになったが、桜田氏も2年間、大工のアルバイトをして得た学費で明大の夜間部に入り、昼は大工仕事を続けながら卒業した。市議になったのも87年で同じだ。

永田町での歩みも似ているが、桜田氏は「出世はむしろ俺の方が早かったんだよ」とニヤリとしながら振り返る。政務官になったのは桜田氏が01年、菅氏が02年。2度目の政務官は桜田氏が02年、菅氏が03年で、桜田氏が務めた経産政務官の後任が菅氏だった。05年、小泉内閣でともに副大臣になったが、当時の写真を見ると、桜田氏が小泉首相、安倍官房長官と最前列で並んでいるのに対し、菅氏は3列目。桜田氏は「菅は派手なことをしないし、地味だから」と解説する。

それから15年。桜田氏は失言で昨年、五輪担当相を辞任し、第2次安倍内閣を支えてきた菅氏は告示前から次期総裁レースで独走している。「何でこうなっちゃったのか」とぼやく桜田氏。会社人生を振り返るサラリーマンの述懐に重なった。「俺は25歳で(建設)会社をつくって好き勝手やっていたが、彼は(小此木彦三郎元通産相の)秘書を11年務め、中央政界を長く見てたんだね。人に仕え、人に尽くしてきた。俺は間違ったことは言ったことはないと思うけど、人の言いづらいことも言ってきたが、彼は発言も慎重だ。人を生かしたり、立てるために働くことをずっとやっていたから、失言が少ないんじゃないかな。この性格の違いが行く末を大きく違えたと思っているよ」。

桜田氏は1年しか持たなかった第1次安倍内閣と、7年8カ月続いた第2次安倍内閣の違いは「官房長官が違うだけだよ」と分析する。8月31日、初当選同期有志の1人として出馬要請した。「地方を大事にするという価値観は同じと思っている」と同期の先頭に立った菅氏に期待している。【中嶋文明】

◆96年初当選 初の小選挙区比例代表並立制で行われ、橋本龍太郎氏率いる自民党、小沢一郎氏率いる新進党が激突した。239議席を獲得した自民党では49人が初当選。菅氏、桜田氏のほか、今回、総裁選出馬を取り沙汰された河野太郎防衛相、下村博文党選対委員長や、公選法違反で刑事被告人となった河井克行元法相らが当選している。立憲民主党では安住淳国対委員長、辻元清美幹事長代行が96年組。