宮城県仙台市在住のシンガー・ソングライターさとう宗幸(72)は被災から10年、被災地を見つめ続けてきた。発生から2週間後に初めて受けた日刊スポーツの取材で、激震の瞬間の恐怖を吐露。5年目には、復興が遅々として進まない責任は行政にあると怒りをあらわにしていた。10年目の今、さとうは「東北人が持っている郷土愛…再興は必ずある」と力強く語った。

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さとうはMCを務めるミヤギテレビ「OH! バンデス」(月~金曜午後3時50分)への生出演のため、車で走行中に被災した。それから10年…同局の1室で率直な思いを吐露した。

「復興庁が出来て、復興が迅速に進むのかなと思ったけれど、被災地の方の意に沿ったスピード感があったかと言えば…10年もかかって、いまだに被災地で重機が動いてダンプも行き交うんですかと。復興予算の約32兆円にしたって、どういう使われ方をしたか理解している被災地の人は、ほとんどいないと思うよ」

3月22日に番組を再開した際、津波や地震の映像を流さないよう厳命する代わりにギターの弾き語りを1カ月続けた。並行して週末、公私問わず被災地を回る中、避難所で女性にかけられた言葉が忘れられない。

「『宗さん、取材はいいけどさ、私たち、お金欲しいんだ』と言われてグサッときた。命永らえて生きていかなければならない人たちに、寄り添っていかなければいけないと思ったね」

被災地とつながり続けたい一心でギターを手に歌い続ける。その中、南三陸町の「南三陸さんさん商店街」、名取市閖上(ゆりあげ)地区の「かわまちてらす閖上」など新しい町を訪ね、感じるものがあった。

「昔の姿をなくした町の伝統、文化を失いたくない人は、いっぱいいる。みんな前向きに、新しい文化を作り上げようという姿勢を強く感じます。昔のような町の色、匂いを今は求めるべくもないけれど…いつか復活すると僕は信じたい」

この先の復興のカギは、東北人魂だと断言する。

「町を再生させるのは、お金でも物でもなく、人。小さいながらも華やいだ町の空気が脳裏にある、我々の世代がいる限り姿は変わろうとも、時間がかかっても再興は必ずあると信じています。郷土愛は誰しも持っているし、東北人には粘り強さもある。震災を知らない子どもたちも増えたが、20歳前後の人が語り部になっていこうとしている」

宮城県内の小中学校の楽器修復費用の寄付を目的とした「みやぎびっきの会」を社団法人化し、こども基金を立ち上げた。19年3月で閉鎖し、任意団体に戻ったが6、7日に東松島市で応援ライブを開く。「新しい形でのふるさとの再生…僕は楽しみにしたい。残りの人生で見届けたい」と言いつつ、こう言った。

「抵抗感もなく『10年目の節目』と使っていますけど、僕らには節目も何もないですから」。【村上幸将】

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震災発生から10年のタイミングで、プロ野球楽天に田中将大投手が、サッカーJ1仙台には手倉森誠監督が、同じ8年ぶりのタイミングで帰還した。さとうはプロ野球楽天のファンクラブ名誉創立会員で、仙台の市民後援会で会長を務めており「最善にして明るい、スポーツ界の材料だと思っていますよ」と喜んだ。仙台は11年に4位と躍進し、被災地の希望の星となった。13年の楽天の日本一は東北の復興の大きな後押しとなった。さとうは「ひょっとしたら、また東北に明るい光を差し込んでくれるかも知れない」と期待した。

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◆さとう宗幸(さとう・むねゆき)本名・佐藤宗幸。1949年(昭24)1月25日、岐阜県生まれ。宮城県古川市(現大崎市)で育ち、東北学院大在学中に音楽活動を開始。78年のデビュー曲「青葉城恋唄」が100万枚を売り上げる大ヒット。81年、ドラマ「2年B組仙八先生」に主演。「OH! バンデス」は昨年4月に25周年。NHK総合で9日午後7時半から放送の「うたコン スペシャル『今、あなたに届けたい歌』」に生出演。