東京電力福島第1原発のある福島県双葉町は今も全町民の避難が続いている。

被ばくの危険から少しでも逃れるため、町は原発事故で避難指示が出た11市町村で唯一、県外への集団避難を決断し、町民は200キロ以上離れた埼玉県のさいたまスーパーアリーナ、旧騎西高校へ向かった。帰還は22年春に始まる予定だが、10年はあまりに長く、「戻りたい」と答える町民は10・8%。双葉町埼玉自治会の吉田俊秀会長(73)に思いを聞いた。

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最も多いときで1423人が避難生活を送った加須市の旧騎西高校で6日、「3・11モニュメント」の除幕式が行われた。「希望」と刻まれた2メートルの白御影石は北東の双葉町に向かって立つ。一教室に20人以上、テレビもトイレも共同で、小さなけんかは絶えなかったが、着の身着のままで双葉を出た町民にとって「やっとほっとした場所だった」と、吉田さんは言う。

避難命令が出たのは3月12日の朝だった。国道6号沿いでガソリンスタンドを経営する吉田さんは長蛇の列の車に徹夜で給油していた。「7時半ごろ、パトカーに乗って警官4人が来た。防毒マスク着けてるんだもの。『早く逃げろ』とばかり言うから、給油を待っているこれだけの人をどうするんだとけんか腰になったら、『総理大臣菅直人の命令です』と、店にチェーンを張った」。町民が避難を始めたのは8時ごろ。もう「東京電力の社宅は空っぽだった」という。

普段なら40分ほどの川俣町への道は渋滞で動かず、到着したのは夜9時だった。移動中、1号機が爆発し、風は第1原発から北西の川俣町の方向に流れた。14日には3号機、15日には4号機が爆発。町は県外避難を決断した。避難指示が出た11市町村のうち、他の自治体が会津若松や二本松など県内でまとまって避難する中、県外を選んだ双葉町は結果的にばらばらになった。バスで1200人が埼玉に向かう一方、猪苗代町のホテルを選んだ人も800人。10年後の今、避難先は41都道府県330市区町村に広がっている。

町は来春の帰還開始を目指す。「加須には今、143世帯389人が避難していますが、帰るという人はいません。何十年と住んでいたところだもの。みんな、双葉と関わりたくて住民票は移さないでいるんです。でも、みんなうちを求めたし、若い人は勤めや子どもの教育もある。年寄りだって、病院がなかったり買い物するところがなかったら、無理だもの」。

2044年までに県外に最終処分する約束で、大熊町とともに町が引き受けた中間貯蔵施設は1600ヘクタールにわたって広がる。「いつまでもあそこに置かれたらどうしようもない。5号機、6号機は解体せずに残して東電の研究施設にしたらいいのではないかと町長は言っているし、双葉はそういうところで働く人たちのまるっきり新しい町に変わるんでないべか」と、吉田さんは想像している。【中嶋文明】

◆双葉町 大熊町とともに福島第1原発が立地する。町によると、2月末時点の避難者は県内4017人、県外2777人。県外避難率41%は避難指示が出た11市町村で最も高く、避難先は41都道府県330市区町村に広がっている。昨年、JR双葉駅周辺など2・4平方キロの避難指示が解除されたが、町の95%(49平方キロ)が今も帰還困難区域。町は22年春、役場をいわき市から双葉に戻し、住民の帰還開始を目指す。5年後の27年の居住人口2000人を目標にしているが、昨年の住民調査では「戻りたい」が10・8%、「戻らない」が62・1%、「判断がつかない」が24・6%だった。