ロシアのウクライナ侵攻から2月24日で1年。ウクライナ全土で続くロシアとの戦争状態は、両国1歩も譲る気配はない。そのなかで現在もウクライナ東部ドネツク州バフムトでは同軍とロシア軍の戦いが激しさを増している。フリーカメラマンの武馬怜子氏が、ウクライナ東部で避難生活を続ける人たちを取材した。
前日に宿泊したスラビヤンスクから東へ50キロ。約1時間、車は水はけのわるい道を猛スピードで走り、鉱山の市シベルスクに到着した。昨年2月24日のロシア侵攻が始まる前は人口1万人弱。今はほとんどの市民がこの地を離れ、残っているのは高齢者が目立つ。ここは最前線バフムトから約40キロ北の場所にあり、今も両国の激しい戦いの影響下におかれている。朝から雪が降ったりやんだりを繰り返し、正午過ぎに着いたときは溶けた雪が茶色い泥となり歩くたびに足元にまとわりついた。
街は徹底的に破壊されつくされ、壊れていない家を探す方が難しい。
曇りがちではあるが、ときどき晴れ間の見える空からは、数分おきに爆撃音が響く。現地の人たちへ支援物資を積んだワゴンは、1つの病院の前に着いた。すぐにパンや水、ジャガイモなどの食料品と防寒用の衣服を運び出す。いつミサイルが飛んでくるか分からない状況で、物資を運ぶのは命がけ、時間との勝負だ。毎日戦況が変わる中、状況を注視し時にはあまりに砲撃が激しいため、支援を中止せざるをえないこともあるそうだ。もちろん荷降ろしはできるだけ短時間で済ます。
毎日続く砲弾の雨のなか、この病院の地下のシェルターに17人の市民が今も避難生活を続けている。階段を下りると、真っ暗闇が広がる。トンネルの幅は1メートルほど、大人1人がすれ違うのがやっとだ。奥行きは暗すぎて見えない。ペチカ(ロシア風ストーブ)の光を頼りにひとつの部屋に足を踏み入れると「入ってこないで!」ロシア語でそう言う女性の声に足が止まった。シェルターにいてもときどき起こる砲撃音は聞こえてくる。
地上に出るとアリーナ・ミフォディエヴナさん(84)が2リットルの給水ボトルを5個も抱えて給水の順番を待っていた。彼女の家は昨年4月28日、砲撃の被害を受けた。今はここのシェルターに避難している。
「私と一緒に避難した娘のワラにも住む場所があったんですよ。今は全て、台所もフェンスも残っていない。私の経てきた歳月は何だったの。全て失ったんですよ?」
およそ10カ月の間ミサイルの脅威にさらされていることを物語る、疲れ切った表情で彼女は訴えた。
パンッと乾いた音、ドシンッと何かが落ちる音、彼女と話をしている間も、ずっとミサイルと迎撃の音はやまない。ふいに近くにミサイルが落ちる音がして、反射的に彼女をかばった。か細くて細い肩。私はヘルメットに加えて防弾チョッキを身に着けているが、彼女は丸腰だ。
「ああ、つらいわ、ひどい状況。まだ(砲撃を受けた)家に戻る気にはなれない。砲撃が怖いんです」
私の腕のなかで彼女は声を震わせた。しわの目立つ手は冷たい。
「時間だ。すぐに車に戻れ。出発しないと危険だ」
支援チームの声に、半ば追い立てられるように私は車に乗り込んだ。
「どうか、どうか無事でいてください」
ずっとここで生きてきたであろう彼女にわかるはずはないが、思わず英語でそう叫んだ。
「スパスィーバ(ありがとう)」
彼女はロシア語で返し、手を振っていた。車は泥道を、時々行く手を阻む大きな水たまりをよけて蛇行しながら、激しく上下に揺れる。その地を出発して戻る際も爆撃はずっと続いていた。