3冠馬ナリタブライアンなど多くのG1馬を管理した大久保正陽元調教師が21日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。87歳だった。

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約20年前、駆け出しだった私が取材した頃、大久保正陽師はすでに調教師生活の終盤だった。話に聞いていた気難しさはなく、口調もまなざしも柔和だった。鳴尾競馬場、繋駕(けいが)速歩競走(馬車レース)などなど、昔の話を聞いては資料などを調べ、日本の競馬史を学ばせていただいた。

1度だけ、笑みをたたえた口元が引き締まったことがある。禁断の質問をしたからだ。「(96年)ナリタブライアンはなんで3200メートルの天皇賞(春)の後、1200メートルの高松宮杯を使ったのか」という真意をストレートに聞いた。「まあ、それはな」の後は沈黙で終了。その翌週「座りなさい。君と同じ名前だから座って大丈夫だ」と調教師席が隣だった高橋隆調教師のイスを引いてくれた。まず私の名前を知ってくれていることに驚いた。前週の続きで「なんでだと思う?」。恐る恐る「本当に強い馬は距離は関係ないってことでしょうか」。という回答に笑顔で「まあ、そうかな。そう、だろうな」。本当の答えではないかもしれないが、完全な的外れではなかったのかもしれない。しばらくして周囲の人から「正陽先生が『彼はよく勉強している』って褒めてたぞ」と言われて鳥肌が立った。

正陽師はブライアンの他に、メジロパーマー、エリモジョージ、シルクジャスティスなども管理した。83年ダービー2着のメジロモンスニーも。モンスニーの藤原玄房(はるのぶ)厩務員は、藤原英昭師の父。正陽師の息子は大久保龍志師だ。強い馬作りのメソッドは、次の世代へ受け継がれている。

私が競馬担当を離れ、正陽師が引退後も、年賀状のやりとりはさせてもらった。毛筆の美しい字で届くのが楽しみだった。今年は届かず、気になっていた矢先の訃報。もっといろいろ聞いておくべきだったと後悔が出来るのも、多くの話をしていただいたから。今はただ、感謝の気持ちしかない。【元中央競馬担当・高橋悟史】