今春で引退する調教師が語る連載「明日への伝言」の第4回は、美浦・南田美知雄調教師(70)が思いを伝える。1978年に騎手デビューし107勝。「全ての人に感謝」と言うホースマン人生を振り返る。【取材・構成=岡山俊明】

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競馬のケの字も知らなかった人間が、わりかしよくやって来られたな。そんな心持ちですね。生まれは熊本の天草。高3で公務員試験を受けに上京した時、新横浜で働いていた義兄に競馬場に連れて行かれた。確か川崎競馬場でした。「おめえ体ちっちゃいから、馬に乗る仕事でもしたらどうだ?」「どうやって乗るの?」。体を動かすことは好きでしたから、それが始まり。義兄の同級生が中野吉太郎先生の娘さんと結婚していた縁で、中山競馬場の厩舎に下働きで入りました。でっち奉公ですね。馬なんか触ったこともなくて右も左も分からず、毎日草むしりや靴磨きをしていました。乗馬苑では「お前は田舎に帰った方がいい」と言われてね。よく騎手試験に受かったと思いますよ。

重賞を二つ勝たせてもらったホクトヘリオスは、調教がちょっと大変な馬で、引っかかるし苦労したのを覚えていますね。跳びがでかくて、競馬では3~4角で小脚が使えないから置かれちゃう。惰性がついたら直線で伸びてくる。コーナーが下手だから、自然と追い込む形になるんです。朝日杯3歳S(2着)もメリーナイスがすーっと動いた時に、動けなかった。自分で競馬をつくれないから展開に左右されましたね。

後に天皇賞馬になったキョウエイプロミスには、あんちゃん(見習い)の時に小倉で2回乗ったことがあります。これも難しい馬でしたが案外うまく乗れました(さざんか賞3着、つばき賞1着、いずれも3歳時)。背中のいい馬で、走るなと思いました。乗せてもらえただけでありがたかったですね。

調教には自信がありました。引っかかる馬はもちろん、立ち上がる馬や、みんな怖がって乗らないような馬を任されていました。乗ればその馬の器は分かります。ローカルに行けば師匠が調教も競馬も乗せてくれました。1年目から中山、小倉、新潟、福島、北海道、新潟、福島、中京と出張続き。今と違って馬も現地滞在なので経験を積めたし、下手な私でも競馬に乗れた。やはり競馬に乗らないとうまくなりません。今は当時と比べて滞在競馬も騎手を抱える厩舎も少なくなり、若手がチャンスをつかめる場が減っていると感じます。反対に1日全鞍乗るような騎手は、体力や集中力が心配。地方競馬のように1日8鞍とか、乗り数制限を考えてもいいのではないでしょうか。

(柴田)善臣が弟弟子で入ってきた時は、生まれながらに馬と一緒に育ってきた男は違うな、と分かりました。だからすぐに調教師に気持ちを向けられた。

開業から7年、カッツミーで調教師として初めて重賞(2002年ラジオたんぱ賞)を勝った時は、びっくりでした。連闘でしたからね。福島で500万下を勝った時に走るなと思って、「次週に3歳同士の重賞があるわ。登録しておこう」と急いで登録に向かいました。それが功を奏しましたね。

いい馬を入れるには時に策謀めいたことも必要なのかもしれませんが、性格的に調教師には向いていないと思います。メリット制が導入されて調教師が続々とやめていった時期があって、馬が集まらずに1勝もできなかった年がありました。その頃はやはりきつかったですね。調教師に入るのは進上金しかないので。よく最後まで頑張れたと思います。支えていただいた全ての方に感謝ですね。

やめた後は、ゆったりできる環境をつくりたい。好きな庭いじりでもしながらね。馬からは離れますが、ぼけないように何か仕事もしたいですね。

 

◆南田美知雄(みなみだ・みちお)1955年(昭30)9月30日、熊本県生まれ。1974年に騎手候補生(中野吉太郎厩舎)、1978年に中野隆良厩舎所属で騎手デビュー。1990年の引退まで1258戦107勝。重賞はホクトヘリオスで1986年函館3歳S(G3)京成杯3歳S(G2)。1994年に調教師試験に合格して1995年に厩舎開業。6321戦210勝(8日現在)。重賞はカッツミーで2002年ラジオたんぱ賞(G3)、ユウタービスケットで2008年新潟ジャンプS(J・G3)、サペラヴィで2024年阪神ジャンプS(J・G3)。