今春で引退する調教師が語る連載「明日への伝言」の第5回は特別編。美浦の名伯楽、国枝栄調教師(70)が4編にわたって競馬人生を振り返る。90年に開業し、この道36年。アパパネ、アーモンドアイで牝馬3冠を2度達成。JRA通算勝利数は1100を超える。第1編は調教師としての原点を語った。【取材・構成=岡山俊明、桑原幹久】
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うま年で始まってうま年で終わるってことで、ここまで大過なく来られたから張り合って来られたんじゃないかな。調教師生活はあっという間と言えばあっという間だし、長かったと言えば長かったかな。定年で辞めるってなったらいっぱい取材が来て、早く辞めろってもんでね(笑い)。俺も古いから仕方ないな。まあ、調教師の定年引退はこの時期の年中行事。感傷的なものはないよね。
だいたいこの業界に入れるとは思ってなかったんだよ。昔はいち競馬ファン。ぼんやり馬の仕事ができないかと思って、岐阜から東京農工大に出てきて馬術部に入った。ちょうどその頃は美浦トレセンをつくっていた時。他大の馬術部の高橋裕さん(元調教師)が八木沢勝美厩舎で調教助手として働き始めたっていうんで話を聞いたら、新しく調教師になる山崎彰義さんが調教助手を探していると。そこで「どうだ?」って話になってね。栗東より規模を大きくして作ったから人が足りなくて、開業したて(78年)の美浦にすっと入れた。まだ競馬学校もなかったし、ラッキーというか時代の流れにうまく乗れた感じがするよ。
やっぱり競走馬は別格だったね。大学時代に乗っていた馬は、目いっぱい走っても競走馬の普通キャンターあたりにもならないくらい。勢いが違ってスピードに乗ると手綱を持っていかれちゃったな。あの頃は坂路がなくてトラックしかないから1日5、6頭乗っていた。(元騎手の)坂井千明さんは調教がうまくて、いろいろ教えてくれたりしたな。トレセンの中はとにかく新鮮だったな。
84年には当時のドバイ奨学生制度でイギリスに研修に行ったけど、勉強になったね。この間亡くなったイアン・ボールディング調教師には大変お世話になった。厩舎の隣に部屋があって、そこに勝負服がとてもきれいに飾ってあった。馬具もきちっと手入れされてて、すごくかっこよかったね。そういうところからちゃんとしようと思ったよね。あとは白いシャドーロール。矯正馬具としての効果もあるけど、広い調教場や競馬場で自厩舎の馬が目立つから、これはいいなと。ミルリーフはでっかいものを着けていたけど、それよりは小さくして、うちの馬にも着けるようにしているよ。
10年くらい助手をやって、調教師になろうと思ったのは藤沢和雄さんがいたから。藤さんがいなかったら、どうなっていたか分からないよ。あの人は他の人とはもう全然違うよね。親分肌。何かを思っているだけじゃなくて、人を動かして、ちゃんと物事を動かしていく。あらゆるところに影響をどんどん与えていく。そのパワーがすごいよね。あれだけの人はなかなかいないよ。そういう意味では俺は藤さんのまねしていけばいいってなもんでさ。楽というか、目標がはっきりしていたな。
あの頃の日本競馬はすごく閉鎖的。藤さんは早くからヨーロッパに行っているから、その目で見るとこの中はおかしいんじゃねぇかってね。俺もなんか理に合わないようなところはいっぱい感じてて。村社会だからね。それからジャパンCができて、売り上げが伸びて、外に開かれた規制緩和の流れになってきて。その波に率先して乗って行けたことがよかったね。そしてその先導役が藤さんだった。
そういう意味では人に恵まれたよね。馬主さんでも金子(真人)さんの存在が大きかったな。(つづく)
◆国枝栄(くにえだ・さかえ)1955年(昭30)4月14日、岐阜県生まれ。東京農工大卒。78年に美浦・山崎彰義厩舎で調教助手となり、89年に調教師免許を取得。90年開業。98年ダービー卿CT(ブラックホーク)で重賞初制覇。99年スプリンターズS(ブラックホーク)でG1初制覇。09年アパパネ、18年アーモンドアイで2度の牝馬3冠制覇を達成。07年有馬記念をマツリダゴッホで制覇。JRA通算9508戦1121勝。現役唯一の1000勝以上で同最多勝。JRA重賞70勝(うちG1・22勝)。19年にアーモンドアイでドバイターフ制覇。

